引き継ぐ|引き継がれてきたクリスマス

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会堂の聖壇を舞台にして、いよいよ年長組の降誕劇が始まる。今日はリハーサル、観客は引率と補助のために付き添ってきた保育士数名と最後列に座った私たち夫婦、そして来年降誕劇を行う年中組20数名である。市川に赴任して25回目の降誕劇、音楽もストーリーも全く同じなのに、毎年新鮮な気持ちで拝見させてもらっている。

降誕劇が始まる。ナレーションが始まり、次に天使ガブリエルが現れ、マリアに「御子を身ごもること」が告げられる。ふと、年中組の子どもたちに目を注ぐと、殆どの子どもたちが姿勢を崩すことなく座っている。思わず前に行って彼らの様子を覗いてみたくなるが、そこは我慢。最後まで真剣に見つめていた彼らの姿を、来年は残念だが観ることはできないけれども、「K保育園年長児による降誕劇」をしっかり引き継いでくれることを確信して、彼らを見送った。

「音楽もストーリーも全く同じ」と書いたが、いろいろな変化もある。天使や星役の子どもたちは、自分たちでアレンジした踊りに変えて披露してくれるようになったし、また羊飼いには女の子が入り、天使や星には時には男の子が加わることもある。恐らく今年の年中組さんも、「来年はあの役をもっと楽しい踊りにしたい」等と考えながら観ていたのだろう。ともあれ、「救い主のお生まれ」という中心が失われなければ、少しずつ変化していくのが降誕劇である。1947年に始まるK保育園の歴史、恐らく最初から降誕劇が行われていたとすれば今年は78回目となる。音楽・衣装もしかしたらストーリーも変化を重ねて現在に至っているかもしれない。「様々な変化を重ねつつ、それでも引き継がれていくこと」、降誕劇のみならず、信仰もまたそういうものであろう。

ルターは小教理問答書の十戒の冒頭に「家の主人が家の者たちに分かり易く示すために」(ルター研究所訳「エンキリディオン」より)と記したが、信仰はきちんと引き継がれなければならないという信念からであったからだろう。旧約の時代、カナンの地に定着を果たしたヨシュアも全部族の長を集め、神がその地を与えてくださったことを告げながら、「もし主に仕えたくなければ望む所に行っても良い、しかしわたしとわたしの家は主に仕えます」(ヨシュア記2:15要約)と宣言した。「私は」ではなく、「私の信仰を引き継ぐ家族は」と理解できるのである。

私たちは「福音を宣べ伝える」と表現するが、換言すれば「福音を引き継ぐ」ということにほかならない、クリスマスの出来事が様々な変遷を重ねつつ2000年間引き継がれてきたように!

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