隔たりを取り除く|十字架がもたらす恵み

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「子よ、元気を出しなさい。あなたの罪は赦(ゆる)される。」(マタイ9:2)中風で寝たきりになっていた人が、友人に助けられイエスの許に連れて来られた時に、その人に向かってまず告げられたイエスの言葉である。病気が治ってもいないのに「罪は赦されるから、元気を出しなさい」と言われているのであるが、友人たちはもちろんのこと、病人本人も、そしてそこに居た人々も、何を言われているのか理解できなかったことだろう。何故なら、当時は「障害や病は罪に対する罰」と受け取られており、中風の人の病が癒されてもいないのに「罪は赦される」と受け止めることはできなかったからである。

ところで、「障害」という表現は、新共同訳ではレビ記21章の神殿祭司に関する規定の中にある、「だれでも、障害のある者、すなわち、目や足の不自由な者、鼻に欠陥のある者、(後略)」(レビ21:18~21)。聖書協会共同訳になって「体に欠陥のある者」という表現に換えられたが、罪人と同様に病人や障がいのある人々が社会から疎外され、隔たりが存在し続けたということは、言葉を換えても変わらない。イエスが「罪は赦される」と告げられたことの真意は、「私の前に来ることができたのだから、その隔たりは取り除かれた」ということではなかったのだろうか。パウロも「実にキリストは私たちの平和であります。二つのものを一つにし、ご自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました」(エフェソ2:14~15)と記している。「妨げる」という意味をもつ「障害・障碍・障がい」という言葉を用いる限り、私たちの中の「隔たり」は取り除かれていないということにもなる。

「トランスジェンダーの医療に携わる専門家が集う『GID(性同一性障害)学会』の名前から、『性同一性障害』が消えることになった。生まれた時の性別と異なる性別で生きるトランスジェンダーのありようは障害ではない、との考えが広まり、国際的な診断名から消えたためだ。(中略)世界保健機関(WHO)は2018年に公表した国際疾病分類の改訂版(22年発効)で、性同一性障害を『性別不合』と改めている。これを踏まえ、新学会名は『日本GI(性別不合)学会』になるとみられる。」(3.14.朝日新聞)「障害」という言葉の持つ意味や与えるイメージが変わらない以上、新しい言葉を選択することは有益だと思う。その意味では「障がい者:支援者」は「要援者:支援者」という対をなす言葉と換えることもあり得るのではないかと思ったりもする。

十字架上で息を引き取られた時、神殿の幕が二つに裂けた。(マタイ27:51)十字架が全ての隔たりを打ち壊し、神の御前においては全ての人が等しいと告げるかのように。

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