小さな奇跡が包みます
祈り)
天の神様、新しい目覚めをありがとうございます。
少しずつ気温も上がり湿度も上がり始めました。今年は季節の進みが早いそうです。
季節や風を感じ、今というときを私たち一人ひとりは感じています。
それらがどこから来るのか、なんとなく考えるときもあれば、
わからないときも、わかりたくないときもあります。
ただ、今あなたに与えられる一つひとつは神様から与えられています。
神様からの恵みは途切れることはありません。神様からの恵みが溢れる今を共に歩みましょう。
これから語られますみ言、この語る者を通して
ここにおられるお一人おひとりへと神様あなたがお語り下さい。
この語る者のすべてを神様あなたへお委ね致します。
このお祈りを主イエスキリストのお名前を通してお祈り致します。
アーメン
今ご一緒にお読み致しました聖書の箇所「使徒3:1-10」において、ペトロさんとヨハネさんというイエス様の弟子である人たちが、生まれつき足が不自由で歩くことができなかった人を、自分の足で立ち上がって歩けるようにする奇跡を行います。神様による奇跡、イエス様のお名前によって起こる奇跡とは何でしょう。
それは、神様のみ業が示されることです。決してすごい力をみせびらかしたり、人を驚かせるためにあるわけではありません。神様のみ業が示されることが奇跡としたら、私たちはたくさんの神様からの奇跡に包まれています。
何年か前、私が働かせていただいていた施設で、皆さんが大切にされていたベランダに咲くたくさんの花を見て心が和みました。その花一つひとつも神様に与えられている奇跡です。ただ神様から与えられる奇跡は、時には人間の心や行動を必要とします。やさしい気持ちで花を育てるのならやさしい奇跡を、元気な笑顔の表情をするのなら元気な奇跡を。自分に立ち止まって静かな深呼吸をするときは静かな神様からの祈りを。
神様のみ業は私たちをいつも包んでます。そして、私たち一人ひとりが神様のみ業を今、現す者として用いられています。