あなたからも神様からも
祈り)天の神様、私たち一人一人に新しい目覚めをありがとうございます。
<神様、私にお与え下さい。自分に変えられないものを受け容れる落ち着きを。
変えられるものは変えていく勇気を。そしてこの二つのものを見分ける賢さを。>
これから語られますみことば、この語る者を通して今、聖霊のお導きによって
聖書から聴くお一人お一人と皆さんの心にあるお一人お一人へ、神様あなたがお語り下さい。
この語る者のすべてを神様あなたにお委ねいたします。
このお祈りを主イエスキリストのお名前を通してみ前にお捧げ致します。
アーメン。
【参考聖書箇所:詩編30篇2〜4節】
主よ、あなたをあがめます。(2節)
聖書を読んでそこに『主』と書いてあれば『主』とは神様なんだなぁって思う方は多いかもしれませんが、そのような人ばかりではないかもしれません。いったい私は誰をあがめているんだろう?確かに私たちには神様という存在は必要です。「私は大丈夫だよ」とおっしゃる方もおられるかもしれませんが、神様にとってもあなたが必要なんです。
初めの祈りの中にある言葉(<>で括った)は、私が幼い頃に教えてもらい、意味もわからずお祈りしていた祈りの一つです。「神様」がいるのかいないのかも分からず、でも不安な時はすがるような思いでとなえていた祈りでした。その後、この祈りはある神学者の祈りを日本語に訳したものであることを知り、大変驚きました。
今ご一緒にお聴きした詩編も同じです。いろんな信仰者を通しての祈りの言葉が多く編集されています。詩編で『主よ』と呼ばれているのは、もちろん神様です。詩編から聴く私たち一人一人の心を神様へと向けてくれます。私は祈れない時、詩編から聴くことがあります。何編と決められた箇所を読むのではなく。ただただ詩編にある祈りから聴きます。何かを求めたくて祈るだけが祈りではないような気がします。求めるものを失ったら祈りはなくなってしまうのでしょうか。いいえ、そんなことはありません。
祈りはあなたと共にあります。孤独を感じる時、どうしようもない悲しみや辛さの中にある時、喪失感の中で頭が真っ白な時。また、誰かに「祈りなさい」と言われたとしても「どうしたらいいの?」と叫びたくなる時もあります。いつもあなたと共にある祈りとは、神様からの祈りです。それは、いつも一人一人へ向けられている神様からの思いです。あなたに神様という存在が必要なように神様にもあなたが必要です。
自分が弱いから神様が必要なのでも、神様が弱いからあなたが必要なのでもなく、神様にとってあなたは大切な存在だからあなたが必要であり、あなたは大切な存在であることを思い起こすために神様が必要なのです。あなたといつも共に在る神様からの祈りが、あなたを包みます。
「あなたは大切な存在です。」