
信じる強さ
新約聖書の一番始めから読もうとして人の名前が、しかも、あまり日本では聞き慣れないカタカナの名前がずらずらと書かれていて「よし、聖書を読むぞ」という決心が何度もくじけそうになった覚えはありませんか?
新約聖書の一番始めから読もうとして人の名前が、しかも、あまり日本では聞き慣れないカタカナの名前がずらずらと書かれていて「よし、聖書を読むぞ」という決心が何度もくじけそうになった覚えはありませんか?
私たち全ての一人一人は神様に創造されました。神様に創造された全ての一人一人は神様に「よし」とされてます。
「イエス様って十字架にかかられて亡くなってから葬られて、三日後に復活されて今も生きておられるんですよね。これって本当なのかしら。教会ってずいぶん不思議なことを信じている人たちの集まりなのね。」と言われたら、正直私も「そうかもしれませんね」と言うかもしれません。
「霊」に導かれるとはどういうことなのだろうか、と考えていたとき、私は数年前こんなことを言われて自分が考え込んだことを思い出しました。それはこのような言葉でした。 「僕らは神様の操り人形みたいだね」 「霊」に導かれるって神様の操り人形になると言うこと?何か違うけど上手く言えないな。
「信仰」ってなんでしょうか?文字通りに言うと「信じて思い仰ぐこと。」わかったようなわからないような。そうです、他の人が「標準的にはね」と言えない、あなた自身の心のあり方を言います。
喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。 (ローマの信徒への手紙12章15節)
現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、 取るに足りないとわたしは思います。(ローマの信徒への手紙8章18節)
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所の中の「ローマ8:30」において、 とても気になる言葉が語られています。 「神はあらかじめ定められた者たちを。。」という言葉です。 「私は全然気にならなかったわ。」と思う人も 「なーに細かいこと気にしてんのよ。」と思う人も様々おられると思います。
私たちは今、生かされてここにいます。 いやいや私は違うと、もしおっしゃる方がおられても ご自分がご自分の生き方を選ばれてきたのかもしれませんが、 その意思を支え、一人一人に命を与えて下さっておられる方がいるからだと思います。
今日は記念日です。いったい何の記念日でしょうか。 それは私が初めて大学病院へ行き、自分の体を調べていただくために入院手続きをした日なのです。 「なーんだそんなことか」と思われた方も少なくないと思います。 記念日なんてそんなものかもしれません。 たまたま国であったり、その出来事が世界に影響を及ぼし...