決して一人ではありません

祈り)天の神様、新しい目覚めをありがとうございます。
私たちにはこの新しい目覚めがなければいいなと思うような辛い時もあります。
これが夢ならいいと眠りにつく時、目覚めたら違う世界に入り込みたい、なかったことにしたいと
様々な思いを持ちながら目覚めを迎えます。
眠りも目覚めも神様、あなたが与えてくださる恵みであり、平安であるということに感謝できる落ち着きを、
そして神様、あなたに信頼できる心を私たちに与えて下さい。
神様からのたくさんの愛にあふれている今を生かされていることに感謝します。

これから語られますみことば、この語る者を通して
ここにおられるお一人お一人へと、そしてそれぞれの心にある方々お一人お一人へと神様あなたがお語り下さい。
神様あなたにすべてをお委ね致します。

このお祈りを主イエスキリストのお名前によってお祈り致します。
アーメン

あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れの道をも備えていてくださいます(コリントの信徒への手紙一 10章13節)

人生には他の誰かが決めた答えはありません。あなた自身が決めていきます。あなたが決めるその答えを、あなた自身が迷うとしても、時間をかけてじっくり決めるとしても、いつも共に迷い、いつもあなたの歩む道を一番に応援し喜んでくださるのが神様です。

聖書の箇所「第1コリント10:13」で『あなたがたを襲った試練で,人間として耐えられないようなものはなかったはずです。』と語られます。「人間として」とはどういうことでしょう?「また難しいことを言うな」と思われる方もおられるかもしれませんが、私たち人間は神様に造られ、神様に大切にされて、神様と共に生きています。だから「人間として生きる」ということは「いつも一人ではない」ということです。

聖書がいう『逃れる道』とは単に「回避する道」と言っているわけではありません。『逃れる道』とは「神様と一緒に迷いながら自分で歩む道」のことのように聴こえます。だから結果的に回避しているように見える道でも、あなた自身が神様と共に選んだ道なのです。

人生の決断と同じであるかのように、クイズには決まっている答えがあります。しかし、人生であなたが試練に遭い道に迷う時、決まっている答えを前に「おしいなぁ。もう少しで正解なのに」とか「あー、間違えちゃったよ。しょうがないな」と神様が遠くからあなたを眺めておられるわけではありません。

”人生”というあなたの歩む道には、クイズの答えのように決められた答えがあるわけではないのです。それどころか迷いながら歩くあなたと一緒に神様が歩まれます。あなたにはなんだか頼りないように思える時があっても、真実の神様が共に歩かれる道が”あなたの道”なのです。試練に遭わない道はないかもしれません。でも大丈夫です。あなたと共に真実の神様がおられ、いつもあなたと一緒に悩み歩んで下さいます。あなたの人生はあなたが答えです。