祈り)
天の神様、私たち一人一人に新しい目覚めをありがとうございます。
本当に様々な理由で礼拝や仕事場、学校などに足を運べない方々がたくさんおられます。
その方々も思い、ここにおられる、お一人お一人の心にある方々も
共に心を合わせ神様、あなたに賛美を捧げ、祈ることができることを感謝いたします。
今もあなたからのみことばに聴き、あなたに感謝できる私たちでありますように。
これから語られます神様、あなたからのみことば、
この語る者を通して神様あなたがここにおられるお一人お一人へと
お語り下さいますようお願いします。
この語る者の全てを神様あなたへお委ね致します。
このお祈りを主イエスキリストのお名前によってお捧げ致します。
アーメン。
【参照聖書箇所:マタイによる福音書10章34〜39節】
自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。(39節)
今、ご一緒にお読みいたしました聖書の箇所のマタイ10:34において、イエス様は「わたしが地上に来たのは平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく剣をもたらすために来たのだ。」と言われます。イエス様は何をおっしゃっているのでしょうか。何か、なぞときのようなことをおっしゃられているのでしょうか。いいえ違います。
イエス様がおっしゃっている「剣」とは何でしょうか。戦争や争いごとのための武器のことでしょうか。イエス様は武器など持たれておりません。イエス様が持たれていたのは「愛」という剣です。愛という剣は真実であり、力や権力で強い者のためだけに造られた平和を、剣のように問いただします。
一部の人にとってだけ平和であったとしても、それ以外の人には地獄のようなときもあります。平和は私たち人間が努力して守るものでは留まらず、平和は神様から与えられるものです。だからいくら一部の人が理想を追いかけて平和だと思っていても、違う方向から見れば悲痛や苦しみ、貧しさを及ぼすものにすぎないかもしれません。イエス様から与えられる真実は剣にしか思えないときもあるかもしれません。しかし、それが愛であることを誰が教えてくれるのでしょうか。真実の愛、それは真の平和。それは、あなた自身が神様へと心を向けるときに知ることではないでしょうか。
平和、それは理想を求め続ける人間によって作られる小さなものではなく、神様から一人一人に与えられている愛そのものなのです。イエス様を自分の理想の平和に閉じ込めることはできません。イエス様から与えられる真実の愛があなたを平和へと導くのです。
