行ったり来たり

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祈り)
天の神様、新しい目覚めをありがとうございます。
いつの間にか、自然はいろいろな変化をしています。光を浴びる自然の中で思いっきり息を吸う。
それはどこかの山にわざわざ登らなくても、「今ここで」自分の部屋の中であっても、
ちょっと歩いてる道であっても、何かをしている最中にあっても、
少し自分の心や感覚の中で私たちは自然を感じることができます。
同じように心が荒れている時はどこにいても全て何もかもが乾いた荒れ野であるかのように感じたりします。

どんな時でも深呼吸をするように、一息置いて今、自分に与えられているたくさんのことに感謝できる
心の落ち着きが持てますように。

これから語られますみことば、この語る者を通して、
ここにおられるお一人お一人へと神様あなたがお語り下さい。
この語る者の全てをお委ねいたします。

このお祈りを、主イエスキリストのお名前によってお祈り致します。

アーメン。

【参照聖書箇所:詩編56編1〜14節】

恐れをいだくときわたしはあなたを依り頼みます。神の御言葉を賛美します。
神に依り頼めば恐れはありません。肉にすぎない者がわたしに何をなしえましょう。(4、5節)

上記のように詩人は詩います。神様からのみことばとは、「言語」や「文字」のことだけではなく、神様が私たち一人一人に与えて下さっている自然、土や光、空気全てのものです。神様からのみことばは、聞こえる人や読める人だけに語られるわけではありません。神様からの「みことば」は自然の中の全てのもの、土や水、空気や草花、人との出会いなど、いろいろなかたちで、それら全てのものを通して、私たち全ての一人一人へ与えられます。

そして詩人は「肉にすぎない者が、わたしに何をなしえましょう。」とも詩っています。これは鉄砲玉の前に出て行っても、どんな危険なところへ行っても大丈夫だよ、という意味ではなくて、どんな状況に追い込まれたとしても、恐れる事はなく、落ち着いてその状況での行動の仕方や考えが自分なりに考えられるように、まず、全ての創造主である神様に心を向けなさい、という詩であるように思います。

私たち一人一人も、日常の中で心が騒いだり凍り付くようなことがあったり、いろいろな時があります。その一瞬一瞬にも神様は共におられます。心を神様に向けられる落ち着きを取り戻す勇気をお与えくださいと祈りつつ歩みたいと思います。

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