一人一人に与えられている命
祈り)
天の神様、新しい目覚めを私たち一人一人にありがとうございます。
天変地異の出来事に驚いたり、ちょっとしたさ細な出来事にうろたえたり。
全てのことの大きさや深さを感じる私たちは、その時の心の状態によって感じ方も違ってきます。
しかし神様、あなたからの愛は、たとえ私たちの感じ方が変わっても、その愛の大きさも深さも、決して変わることがありません。
私たちはそのようなあなたからの愛や慈しみに信頼し、委ねていくことができますように。
これから語られますみ言葉、この語る者を通して、
ここにおられるお一人お一人へと、神様あなたがお語り下さい。
この語る者の全てをお委ねいたします。
このお祈りを、主イエスキリストのお名前によって、お祈り致します。
アーメン。
【参照聖書箇所】詩編22編13〜22節
わたしの魂を剣から救い出しわたしの身を犬どもから救い出してください。(21節)
このようにして、皆様と共に聖書のみ言から聴く時をもつことが許されましたことを、神様に感謝したいと思います。
ある時、教会にあったポスターに、このようなキャッチフレーズを目にしました。「命って誰のもの?」それは青年キャンプで、今回テーマにされるものをポスターでアピールしたものでした。
「命って誰のもの?」一言で「命」と言っても、自分の命、植物や動物の命、光や風。私たちの周りには様々な命に溢れています。私が思春期の時のことだったでしょうか。「こんなに辛い毎日を過ごすのなら、死んでしまったほうが楽かも。」
なんて思ったことがあります。今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所を読んでいて、そう思ったことを思い出しました。
この詩編では、どんなに苦しくて惨めな状態でも、詩人は祈っています。「命」が自分のものであると思うとき、人は簡単に殺したり、その人の存在がなかったようなものとして扱うことができてしまうのではないでしょうか。それは、実際に殺さなくても、無視をしたり無関心になったり。自分に対しても、人や物に対しても行ってしまうことがあります。しかし、それらは孤独や憎しみ、悲しみしか生みません。
「命」は神様から与えられているものであると思う時、私たちにはお互いに関心を持つという、大切な心の繋がりが生まれるのではないでしょうか。