あなたのやぶれを全て担って
祈り)天の神様、私たち一人一人に新しい目覚めをありがとうございます。
自分には経験がなかったことが突然起こり、驚いたり、悲しんだり、戸惑ったりする時、
私たちは「これは夢だったらいいのに」と眠りにつき、目覚めることさえも怖く感じることがあります。
神様、あなたに心を向け現実からすぐに逃れる奇跡を望むよりも、
神様、あなたと共にあることを思い起こし、共に現実と向き合い、共に乗り越える勇気を祈りと共に与えて下さい。
神様、あなたに心を向けることが許されていることを感謝します。
これから語られますみことば、この語る者を通して今、
み言から聴くお一人お一人へ、そしてお一人お一人の心にあるお一人お一人へと
神様あなたがお語り下さい。
この語る者のすべてを神様あなたへお委ね致します。
このお祈りを主イエスキリストのみ名によってみ前にお捧げ致します。
アーメン
【参照聖書箇所:マタイによる福音書5章33〜37節】
しかし、わたしは言っておく。一切誓いを立ててはならない。(34節)
「天に誓って。。。」と、私は学校の友達などによく言った覚えがあります。それは「絶対に約束を守るから」「守らなかったら天罰がくだってもいいからね」と思う時によく言ったような気がします。しかし、聖書ではイエス様は「誓ってはならない」と言われます。「?」神様に誓ってはいけないのでしょうか?
いいえ違います。
イエス様は私たちにやさしく言われているのです。「神様に誓う必要はないんだよ」「神様とあなたは誓う誓わないの関係ではないのだよ」と。
そうです、私と神様。あなたと神様。その関係は、約束を守らなければ罰を与えると言うような関係ではなく、愛の関係なのです。だからと言って、あなたは約束をやぶってよいというわけではありません。また、なかったこととして、神様がうやむやにしてしまうわけでもありません。あなたが約束をやぶってしまう時には、どうしようもない理由があるかもしれません。どこか遠い記憶にあって、つい忘れてしまっていたのかもしれません。約束を守れなくて一番心を痛めているのは、あなたかもしれません。
だからイエス様は言われます。「あなたは私に誓う必要はない。私は一つの誓いをあなたが守れないからと言ってあなたを裁かない。あなたの全てのやぶれは私が担っているから」と。
私たちに何ができるのでしょうか。私たちに神様は何も期待されていないのでしょうか?そんなことはありません。一人一人が自分らしく生きること、それが神様の喜びです。私たち全ての一人一人が神様に造られて、今も大切にされていること。そして、何よりも私やあなたと共に神様が歩まれていることを心に覚えていたいのです。誓いを立てる必要はありません。イエス様が全てのやぶれを担い、あなたを赦されています。あなたは今を赦され、生かされています。
あなたの心を神様に向けて神様に感謝ができます。「神様ありがとう」と。