こんな近くにも

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祈り)天の神様、私たち一人一人に新しい目覚めをありがとうございます。
何かを感じる心や、誰かを思いやる思い。それらには色も形もありません。
しかし、一人一人の心や思いは確かにあります。
神様、あなたは私たち一人一人の心や思いも大切にして下さいます。
私たちも、目に見えて形ある物も、目に見えなくて形がないものも、
全てを大切に思える落ち着きが、いつも持てますように支えて下さい。

これから語られますみことば、この語る者を通して今、
聖霊のお導きによって、聖書から聴くお一人お一人と、
皆さんの心にあるお一人お一人へ、神様あなたがお語り下さい。
この語る者の全てを神様あなたにお委ねいたします。

このお祈りを、主イエスキリストのお名前を通して、み前にお捧げ致します。
アーメン。

【参照聖書箇所:ヨハネによる福音書1章14〜15節】

言(ことば)は肉となって、わたしたちの間に宿られた。(14節)

『言(ことば)は肉となって、わたしたちの間に宿られた。』(ヨハネ1:14)と聖書に書かれています。

幼い頃、この聖句を読んでギョっとしてしまったのは私だけでしょうか。聖書を読みながら私は、「イエス様はいったい何肉になって、私たちの身近にあるの?」なんて考えてしまう自分がいけないと罪悪感を感じたりしていました。「聖書の語ることはありがたいんだから、疑問を持ってはいけない」なんてことはありません。でも、聖書から語られる言葉は今、生きて働かれている神様からのことばとして、あなた自身が聴くために語られています。

『言(ことば)は肉となって、わたしたちの間に宿られた。』ヨハネ1:14

これは、イエス様が人間として肉体に宿られたということです。イエス様って何?と思われるかもしれません。イエス様は、神様の独り子としてこの世にお生まれになりました。イエス様の生涯を振り返っても、「愛」の塊(かたまり)のような方で、いつも一人一人と共におられ、祈りを持って神様と共におられました。

言(ことば)とは、神様から与えられる「愛の力」です。「愛の力」はイエス様という名前を持って、この世に人間としてお生まれになりました。言(ことば)と訳されているギリシャ語は、ロゴスと言います。聖書の中の「ヨハネによる福音書」の書かれたであろう地域では、神様からの「愛の力」を、人々に受け入れられやすい言葉として、ロゴスという言葉が使われました。

ある人が私にこのようなことを言いました。「神様から与えられる言葉がうまくしゃべれなくなったら、どうしよう。」「言葉」というものを話す能力が失われたとしても、「言(ことば)」という神様に与えられる「愛の力」は、あなたと共におられます。

神様から与えられる「言(ことば)」って何でしょう。それは、一人一人が感じる「香り」や「風」、「温もり」や「光」、私たちの周りに与えられている全てなのです。あなたのこんな近くにも、そして、あなたといつも共にあるようにと神様から、あなたに言(ことば)は与えられています。

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