ありがとう

祈り)天の神様、私たち一人一人に新しい目覚めをありがとうございます。
今、このように新しい目覚めを、神様あなたに与えられて生きています。
しかし、自分が目覚めを迎える時、その時々で目覚めの意味は変わります。
遠足や運動会の朝、お天気が気になって目覚めたり、目覚めるのが当たり前に感じて目覚めたり、
隣の人のいびきに驚いて目覚めたり、逆に隣の人の寝息が静かすぎて心配で目覚めたり。
今、自分が何を思い、何を大切にしているかという、いろいろな心の持ち方で、目覚めの迎え方が違っていても、
神様、あなたに与えられる目覚めは変わることはありません。
いつもあなたに感謝ができますように。

これから語られますみことば、この語る者を通して今、
聖霊のお導きによって、聖書から聴くお一人お一人と、皆さんの心にあるお一人お一人へ、
神様あなたがお語り下さい。
この語る者の全てを神様あなたにお委ねいたします。
このお祈りを、主イエスキリストのお名前を通して、み前にお捧げ致します。
アーメン。

【参照聖書箇所】詩編68編29〜36節

…神をたたえよ。(36節)

私たちは何かをしたり、誰かに会う時、その場やその人に合わせて服装を整えたり、準備をして備えます。またお菓子やお料理を作る時は、そのお料理やお菓子を作るための材料を揃えて、火加減や材料を間違えないように気をつけて作ります。その結果、会う人やあなたの作ったお料理を食べる人たちが喜んでくれると嬉しくなり、自分が相手のために備えたことに満足します。

神様はどうでしょうか?神様に心を向けるにはどんな準備が必要で、何か必要なものがあるのでしょうか。そして神様は時間を指定されるのでしょうか。不思議なことに神様にとってはいつでも、どんな気持ちのあなたでも、あなたが心を向けてくれれば、その時が神様にとって嬉しい時なのです。だって、それはいつも神様があなたと共におられるからです。

『神をたたえよ』と、今お読みした聖書の箇所の詩人は詩(うた)います。「神様をたたえるにはこのように言うべきだ。」とか、「神様をたたえるにはこうしなければならない。」というような条件はありません。「神様をたたえる」とは、「神様ありがとう」の気持ちを、あなたがあなたのままで神様に心を向ける、それだけでいいのです。あなたの心を神様に向ける、そのことが備えることになり、神様のために用意する材料でもあるのです。

いろいろな気持ちの時があります。いつも感謝なんてできません。神様を恨む心の時もあります。神様を恨んで神様に心を向けることもあるのです。でも、神様は受け入れて下さいます。その時は、神様があなたに向かって「ありがとう。私に心を向けてくれて」と受け入れて下さるのです。

神様に感謝を私が一方的にしているだけではなく、今すでに神様の慈しみの中で、私は生かされているのだと気付かされるのです。