あなたへ

祈り)天の神様、私たち一人一人に新しい目覚めをありがとうございます。
私たちは目には見えない、手でも触れることもできない形のないものも、たくさん自分に与えられていることを思い起こします。
それらの形ないものが形ある物の大切さを教えてくれたり形ある物が形ないものの大切さを教えてくれたり、どちらも私たち一人一人に今、神様から与えられているかけがえのないものです。
神様あなたに心を向けること、それは目には見えず形ないことかもしれません。
それでも自分にとって大切な「とき」として思い起こすことができますように。

これから語られますみことば、この語る者を通して今、聖霊のお導きによって聖書から聴くお一人お一人と皆さんの心にあるお一人お一人へ神様あなたがお語り下さい。
この語る者の全てを神様あなたにお委ねいたします。
このお祈りを主イエスキリストのお名前を通してみ前にお捧げ致します。
アーメン。

【参照聖書 マタイによる福音書 11章25〜30節】
疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。(28節)

「この言葉って誰が誰に言っているんだろう。」って思われる方も多いかもしれません。「この言葉はイエス様がおっしゃってる言葉だわ。」とすぐ思われる方もおられると思います。そうです、これは神様であるイエス様が聖書を通して、聖書を読む私たち一人一人に今、語りかけて下さっておられるのです。「私は聖書なんか持っていないから関係ないわ。」と思われる方がおられても今あなたはこの言葉を通してイエス様に出会っています。

疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。

 「やっぱり、神様のまつられて所に私が行かなくてはいけないんだ。」「きっと神様は一度だけ休ませて下さるのかな?」「私は今、疲れてなんかないよ関係ないね。」とかいろんな声が聞こえてきそうです。でも、このイエス様からの語りかけは、自分は疲れていないと感じていてもすべての一人一人であるあなたに語りかけられ、あなたの心にイエス様が寄り添って下さっておられるということなのです。だから、あなたは何度でも神様であるイエス様に語りかけていいし、あなたがそこにいたままだとしても何度でも神様であるイエス様はあなたの心に寄り添って下さるのです。

 「なぜ、そんなことができるのですか?神様は。」

それは神様であるイエス様が今も、これからも、あなたと共におられて、あなたの心が神様に向けられることを待っておられるからです。神様は言われます。「ありがとう。待っていたよ。」