あなたといつも一緒だよ
祈り)
天の神様、私たち一人ひとりに新しい目覚めをありがとうございます。
天の神様、私たち一人ひとりに新しい目覚めをありがとうございます。
このように目覚めるとき、私たちはいろんな思いを持ちます。
「今日も目覚めて良かった」とか「なんだか今日は調子が悪いな」とか。
しかし、一つひとつの目覚めに当たり前の目覚めはありません。
神様、あなたに与えられる命、目覚めを感謝する心の落ち着きを持てますように。
今日出会う一つひとつのことに、そしてお一人おひとりに
あなたからの恵みがたくさん詰まっていることを感じる心を持てますように。
これから語られますみ言、この語る者を通して
ここにおられるお一人おひとりへと神様あなたがお語り下さい。
この語る者のすべてを神様あなたへお委ね致します。
このお祈りを主イエス・キリストのお名前を通してお祈り致します。
アーメン
イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である。(ヨハネ21:14
漁にでる漁師さんが「わたしは漁に行く」と言っても何の不思議はありません。しかし,時と場合にはよらないでしょうか?
今ご一緒にお読みした聖書の箇所「ヨハネ21:3」でペトロさんが「わたしは漁に行く」と言ったときは、イエス様を十字架にかけて殺した人々が、自分たち、すなわちイエス様の弟子だった自分たちを捕まえに来るのではないかと、不安でしょうがないときだったと思います。そのようなときにペトロが「日常の生活に戻ろう」と勇気を出した場面が描かれています。しかし、さすがに昼間に行動を起こすのは怖かったのか夜中に船を出したようです。
少しペトロさんとは状況は違うかもしれませんが,私も幼い頃は杖も持たず走り回っていたので、杖をつくようになってから初めて母方の親戚たちに会うとき、それはそれは勇気がいりました。その時は私が笑っていたので、周りの親戚たちもあまり気にしないで済んだようでしたが、私は本当にどきどきでした。
日常の中でも、日常に戻る勇気が必要なときがあります。そのようなときでも、いつも私と一緒にイエス様がおられることを、この聖書の箇所は私に語りかけて下さいました。
どんなときでも「あなたは一人ではない」と、イエス様は私たち一人ひとりに語りかけて下さいます。たとえあなたがイエス様を意識していなくても、イエス様は一人ひとりを覚え、気にかけて共にいて下さいます。
決してあなたは一人ではありません。