予期せぬ出来事
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先週、飯田教会訪問時に起こった「ペンギン歩き」のことをこの欄に記した。飯田ではもう一つ思いがけない出来事があった。日曜日の礼拝後、飯田教会の歴史を振り返りながら、今後の飯田教会会堂についての思いを語り合う時間があった。その折、一人のご婦人が教会の歴史に重ねながら隣の阿智村にある「満蒙開拓記念館」の話をしてくださった。戦前戦中に満州に移住した人々の開拓の苦労、そして敗戦に伴う苦悩について様々な資料が展示されている記念館である。阿智村に記念館が設立されたのは、全国最多の移民を送り出したのが長野県南部地方であったからである。郷土の貴重な歴史として、そして何よりも二度とこのような悲惨なことが起きないようにという願いが込められているからである。ご婦人の話は招集されて満州にいた父の姿そのものであった。
その時、父が原稿用紙9枚に書き残してくれていた「異国の民」と題された小冊子を、カバンの中に入れていたことを思い出した。ロシアによるウクライナ侵攻が始まってから、いろいろな思いがあって、本棚の隅から父の小冊子をカバンに移し替えて持ち歩いていたからだ。その小冊子を会合の後にお見せしたところ、読み終えたご婦人から「ぜひ資料館にコピーをください」とお申し出をいただいた。「この地方の出身ではないが」と躊躇する思いもあったが、生きた証を多くの方に知っていただける機会を与えられたのだと受け止め、提供することとした。寡黙だった父がこのことを知ったら、「そうか」とだけは応えて受け入れてくれそうな気がした。
あれから10日後、一通の手紙が届いた、満蒙開拓記念館の館長さんからのもので、提供に対する感謝と、記念館で保存し必要に応じて公開させていただくという丁寧なお礼の手紙であった。飯田教会のご奉仕にと出掛けた私だったが、私たち兄弟だけが心に刻んでいた父の足跡を、遠く離れた信州の地で多くの方に知ってもらえる機会を与えられたという予期せぬ出来事に、私は疲れよりも恵みを沢山いただけた4日間だったと改めて思ったものだった。
「面白い所に連れて行ってあげる」と、2年先輩に連れて行ってもらった先にルーテル教会があった。あの日の予期せぬ出来事から始まった私のキリスト者人生。その日その時には予期せぬ出来事であったと思うのだが、それは私にとって最も良い道として神が備えてくださっていた道だったのだろうと、今は確信している。そういえば、「神はすべてを時宜にかなうように」(コヘレト3:11)造ってくださっていると語られているではないか。さて、次はどんな予期せぬ出来事に出会えるのか楽しみにしつつ今日を過ごそう。