主役は誰

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この時期は至る所にイルミネーションが飾られる。町並みは当然として、個人の住宅でも様々な工夫を凝らして飾られ、クリスマスの雰囲気を醸し出す。感染の恐れから依然として解放されない中で見るイルミネーションは、街にも人にも元気を与えてくれているのかもしれない。「光は暗闇の中で輝いている」(ヨハネ1:5)という聖句を、社会全体で実現しているかのようである。ただし、この聖句と関連して光を眺める人は少ないだろうけど・・・。

市川教会の2階の窓外には、へばりつく等身大サンタクロースが20年前に登場した。最初の年、深夜に泥棒と見間違えられパトカーが出動してきたという騒ぎがあったものの、その後は「恒例行事」として道行く人に(多分)愛される存在となってきた。サンタクロース登場後も、会堂外観は普段と変わらないままのクリスマスを過ごしてきた。「正しくクリスマスを伝えるには、教会を見せかけの華やかさで飾る必要はありません」などと、たいそうな主張を掲げての結果という訳ではないのだが、ある方に「クリスマスなのに教会の外が寂しすぎる」と言われた言葉に背を押され、ささやかだが10年程前から道路際にイルミネーションを飾り始めた。余り華美にならないように、そして「あら、教会にもクリスマスのイルミネーションがあるのね」と呟かれないように。何よりも、イルミネーションは「光の到来」を告げるものであって、クリスマスの主役ではないことを示したいからにほかならない。

待降節に入ると教会の内部は一変する。生木のツリー、その真上の天井にはドイツ製「ヘルンフート(ベツレヘム)の星」が吊り下げられ、アドベントクランツ、クレッシュ(生誕場面再現の家畜小屋と人形)など、クリスマスに関する様々な装飾で会堂内は賑やかになる。それでもこれらの装飾は、外壁のサンタクロースやイルミネーション同様に決して主役ではない。「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。」(ルカ2:11)天使が羊飼いたちに告げた言葉である。クリスマスの出来事の主人公はイエスだが、「あなたがたのために」と天使が告げているように、この出来事の主役は「あなたがた」、即ち私たち一人ひとりなのだ。光に包まれて、「あなたはあなたらしく生きなさい」と、神の言葉が聞こえてきますように。

最後に、等身大のサンタクロース。デンマークで活動されている音楽家の方が、お姉様のお土産にと購入されたのだが、「飾る所がない!」と拒否されて市川教会に辿り着いた次第。くたびれた衣装は「引退したい」と言っているのだろうか?