まして、神は・・・

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「アメリカのCDC(疾病対策センター)は、マスクを2枚重ねて着用することで新型コロナウイルスの予防効果が高まるとの実験結果を公表した。先月に行った実験によると、布製や密着していない不織布マスク1枚を着用した場合、いずれも空気中の微粒子の侵入を40%程度遮断。さらに医療用の不織布マスクと布製マスクとの二重にした場合、遮断率は92.5%に跳ね上がった。」(デジタル:テレ朝ニュース2月11日要約)これを聞いて私も早速二重マスクに。医療用のマスクではないけど、遮断率は確実に上がったはずだ。

この一年、ありとあらゆる予防法を、聞いたら直ぐに取り入れてきた。最善の予防法は未知のままだし、見えないウィルスに抗うには、それしか私には術がないからだ。日々、研究によって新しい情報がもたらされる。パウロは「福音のためなら、わたしはどんなことでもします。」(1コリント9:23)と言ったが、まさに「礼拝を行い続けたい、そのためならなんでもする」という姿勢を続けるためにも、今出来る限界までの予防を心がけるしかない。

それでもコロナ禍による暗いニュースや不安が増幅すると、つい「もう限界だ!」と呟きたくもなる。そんな時は、今も限界を超えて働き続けてくださっている多くの方々のことを思い浮かべ感謝する。困窮する人々に何が出来るかと考える。自分が感染しないことで家族も、何より医療従事者の困窮の一助となる。元気であれば誰かの手助けもできる。「限界」を乗り越えさせる力は、「隣人を愛することにある」と気付かされる。神は大切な掟として「隣人を自分のように愛しなさい」と命ぜられたが、限界を感じて諦めてしまう人間の弱さを知っておられたからかもしれない。

コロナ禍の一年、私たちは沢山の弱さに気付かされた。しかしまた、「密」を避ける生活を続けていることで、「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、何という喜び」(詩編133:1)という聖句の真の意味に辿り着いた。「共に座る」という何気ない所作の中にも、神の愛の大きさが潜んでいたからだ。「今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。」(マタイ6:30)と神は私たちに語り掛けてくださっている。隣人を思い、そして「まして、神は・・・」と思い起こす信仰こそ、私たちがコロナ禍を乗り越える力になると信じている。