思い浮かべる顔|踏み止まる力を得る

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少年時代、私が悪いことに巻き込まれそうになる時、悪いことをしそうになる時、心配な事が起こった時、事あるごとに脳裏に浮かんでくるのが「母の泣く顔」であった。「お母さんを泣かせたら申し訳ない」と、私はそこで踏み止まることができた。優しかったがとても厳しかった母は、私の目の前では決して泣き顔をみせなかった。しかし、ただ一度、母が泣いている姿を見たことがあった。小学5年生の夏休みに台風が襲来し、公務員だった父は被害状況を把握しに出かけた。そこに向かう途中で事故に遭い、病院に運ばれた。意識が戻らず緊急に遠方の大きな病院に運ばれた。母が付き添い、私たちの面倒を見るために祖母が来てくれた。二週間後、叔母がその病院に連れて行ってくれた。病室の前のベンチでうつむき泣いている母を私は遠くから見つけた。遠くからだったからかもしれないが、いつもより小さく、そして憔悴(しょうすい)しきって泣いていた母の顔、それが私を踏み止まらせるのであった。

イエスが捕らえられた後、弟子たちは自分たちも同様になることを恐れて逃げた。それでもペトロはイエスが気になり、大祭司の中庭に潜り込んだ。彼の姿をみた女中や居合わせた人々から、三度「あなたも一緒にいた」と言われたが、「何のことか、私にはわからない」と否認した。三度目に否認した時、鶏が鳴いた。その瞬間、「鶏が鳴く前に、あなたは三度私を知らないと言うだろう」と言われたイエスの言葉を思い出し、彼は激しく泣いた。(マタイ26:69以下要約)言葉を思い出し泣きながら、彼はイエスの悲し気な顔を思い浮かべたはずだ。黒海沿岸の各地で伝道活動を行い、最後はローマで殉教したと言われるペトロだが、困難な時、迫害された時等々、心が折れそうになることも多々あったことであろう。それでも彼を伝道活動に踏み止まらせたのは、繰り返し彼の脳裏に浮かぶ「三度否認した瞬間に思い浮かべたイエスの顔」ではなかったか、そして「主に悲しい顔をさせることはしない」と自らを奮い立たせたことだろう。

母はキリスト者ではなかったけれど、母を介して神が「愛されていること」を教えてくださっていたのだと、明日(9月30日)の母の誕生日を前にして思いを馳せる。生きていれば97才を迎えるはずだが、私も母と同じ天に行ったら「ありがとう、踏み止まらせてくれて」ときちんと感謝を伝えたい。

私が記憶している「踏み止まらせてくれる母の泣き顔」は、もしかしたら私が作り上げた記憶かもしれない。でもそれで構わないと私は思っている。何故なら、それが私を今日まで生かしてくれたのだから。