独り座し、自己の再発見を

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第五章 岐路に立ち選択するとき

人生は選択の結果である。人生の結果に影響するのは、環境と出来事、そして生まれつきの素質であり、加えて自己の決断がある。環境と出来事と素質は変えることができないが、しかしそれだけで人生が決定されるわけではない。人生を最終的に決定するのは自己の決断である。その決断は、環境や出来事や生まれつきの素質にもかかわらず、それらを超えて人生を決定する。その決断を促すものはなにか。それを発見した者こそが人生に勝利する。

軛(くびき)を負わされたなら、黙して、独り座っているがよい。(哀歌3章28節)

【解 釈】 哀歌は、紀元前六世紀、バビロニアによるユダヤ滅亡の悲劇を歌った歌である。選ばれた民族と堅く信じてきた誇りはもろくも崩壊し、信頼してきた神はこの難事に際してあたかも無力のように思えた。未来への希望は絶たれ、ただ息をひそめてこの苦難の重荷に耐えるのみである。なにをしようと、どれほど知恵を巡らせようと、この苦難を乗り越えるには足りないと思われた。

作者は、ここでじたばたしても始まらないと思ったのである。この国家的難事に際し、ただ息をひそめて耐えること以外になにもすることがないのであれば、むしろそれをこちらから選び取ってでも、黙って独り座わっていようと言うのである。事の重大さに圧倒されて、なす術を知らず、ただ「黙して、独り座る」というのではない。むしろ進んで独り黙して座るのである。大きな困難に際して、どのような知恵も策も役立たずと思われるときがある。ただ、まったくなす術を失ったとしても、「黙して、独り座っている」ことはできる。なにもできないからではない。むしろ積極的にそれを選び取るのである。それによって新たな可能性へと目が開かれる。

【こころ】 神経症の治療に有効とされる心理療法のひとつに森田正馬(もりたまさたけ)(精神医学者)が提唱した森田療法があります。この森田療法では、絶対臥褥(がじょく)(床につくこと)の期間を過ごすことが求められますが、この間、禁酒禁煙はもちろん、話をすることも、人と会うことも、本を読むことも禁じられます。沈黙の世界に自らを独り置いてみることによって、外界との接触を断ち、自己の想念の整理、没我の境地へと導き、自己への洞察を得ようとするものです。社会のなかであれこれと雑事を抱えて思い悩むよりも、いっそのこと思い切ってなにもしないほうが新しい自己への道が開けるというわけです。それこそ積極的な沈黙の世界の選択です。

バリバリと社会のなかで働くことが求められるこの時代にあっては、独りの世界、沈黙の世界は、仕方なく追い込まれていく最後の逃げ場のように扱われます。あたかも敗北者、落伍者のように世間は見るでしょう。自分でもそう思うかもしれません。しかし独り沈黙の世界は、見方を変えれば、森田療法のように新しい自己発見の場を提供する世界でもあるのです。世のなかには、仕方なく独り座し、他者との接触を断ち、沈黙の世界に逃げ込まざるを得なかった人もいることでしょう。もしそうなら、思い切って、その世界を与えられた機会として自らのものとしてはどうでしょうか。仕方なく選択しなければならなかった世界ではなくて、そこだけが新しい自己の発見の場であり、そこでしか新しい人生の道は選択できないのだ、と自分に言い聞かせることから、それは可能になるでしょう。

賀来周一著『実用聖書名言録』(キリスト新聞社)より

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