言葉にならない時の聖書~自分の気持ちがわからない~
「あれ、今私こんな気持ちでいたんだ」と気づかされる時ありませんか?そのような時や「こんな気持ちを抱いてもいいのかな?」という時があったり。でも、聖書の言葉は飾りません。そして、私たちが読んでいる詩編はほとんどが祈りの言葉です。
「あれ、今私こんな気持ちでいたんだ」と気づかされる時ありませんか?そのような時や「こんな気持ちを抱いてもいいのかな?」という時があったり。でも、聖書の言葉は飾りません。そして、私たちが読んでいる詩編はほとんどが祈りの言葉です。
「2コリント5:16-21」において、キリストによって私たちは神様と和解させていただき、神様によって義とされた、と語られています。「和解」?「義とされる」?そんなこと私は望んでいないし、どうでもいいじゃん、と思われる方も少なくないと思います。
みなさんは祈る時、誰に向かって祈りますか。神様に向かって願う、それが祈りのかたちなのでしょうか。願い事や恨み事、不満や悲しみ。全部自分のためだけでしょうか。世界の難民のために、自然災害に遭われ大変な思いをされている方々のためにというように、祈りは様々です。どこかで、台風の被害を受けた方々もいます...
何度も繰り返している入退院ですが、入退院の一回一回は、同じではない大切な一回一回なのだと改めて思います。それは皆様が迎えるのと同じ、神様から与えられるかけがえのない一瞬一瞬だからです。
もし、自分が透明人間だったらどうしますか?「考えたこともないわ」と言う方もおられるかもしれませんが考えてみて下さい。私は幼い頃、多分反抗期真っ最中だった頃に「透明人間になりたい」と思いました。そうしたら誰にも干渉されず、誰からも監視されず自由にできるような気がしたからです。
災害の報道で、よくお母さんが幼い我が子をかばうように抱きかかえできるだけ瓦礫(がれき)や泥や水から守ろうとしている光景をみることがあります。お子さんをお産みになったことがあるほとんどの方は、そのような光景や報道に共感されるのではないでしょうか。
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所に語られている言葉は、「エレミヤの告白」という題がつけられております。エレミヤは預言者です。聖書で語られている「預言者」という人は、前に流行ったような「ノストラダムスの大予言」や地震などの天災を予知するような「予言者」とは違います。 聖書で語られる預言者は「神...
2021年も10月に入りました。今年もあと二ヶ月弱、やり残したことがあるように感じる方も今年も頑張ったなと思われる方もおられると思います。
死んだ方の顔などを触り、そのとてつもない深い冷たさに驚いたことはありませんか?私はあります。「死ぬってこういうことなんだなぁ」って、いまだにその手の感触は覚えています。
「私は自分を大切にしているのでしょうか」と思わず考えてしまいました。ましてや私はいつも「心を尽くして、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして主なる神様を大切にしている」のかな?と思いました。でも逆に神様は私のことを「心を尽くして、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして私たち一人ひとりを大切に...