
わかってはいるけど
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所「詩編15:1-5」には、とても完璧な行いをする人こそ神様に選ばれた者として、聖なる宮に入ることがふさわしいと詩っております。「わかってはいるけどその通りできないわ。」と言うのが人間です。
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所「詩編15:1-5」には、とても完璧な行いをする人こそ神様に選ばれた者として、聖なる宮に入ることがふさわしいと詩っております。「わかってはいるけどその通りできないわ。」と言うのが人間です。
神様へ心を向けるとはどういうことでしょうか?特別な修行や勉強をしなければできないことなのでしょうか。力や知識、経済力の問題ではなさそうです。それでは生まれた土地や国、時代の問題なのでしょうか。そうでもありません。
「あれ今、私こんな気持ちでいたんだ」と気づかされる時はありませんか?そのような時や「こんな気持ちを抱いてもいいのかな?」という時があったり、聖書の言葉は飾りません。ましてや今、私たちの読んでいる詩編はほとんどが祈りの言葉です。 私たちも祈る時、言葉なんて選んでいる余裕もない時もあります。なんて祈...
私たち一人ひとりは今日も新しい日を迎えました。 さて、皆様の心の中心には何がありますか?家族のことであったり友人、自分の健康のことであったり。人の数だけ考えはいろいろあります。でも神様にとっては違います。たった一つ、神様の心の中心にはかけがえのない一人ひとりの命を守ることがあります。一人ひとり...
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所において「主に結ばれているのならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたは知っているはずです。」(15:58)と語られています。「そんなこと知らないよ」と思われる方もおられるかもしれませんが「主に結ばれていないものなんて」とは語られておりません。なぜ...
キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。(エフェソ2:17)
こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。(ルカ24:36)
それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。(ヨハネ13:5)
イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。(ヨハネ19:25)
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。(ヨハネ3:16)