
差し伸べられたキリストの手
今、ご一緒にお読みいただいた聖書の箇「エフェソ2:11-13」において「異邦人」という言葉が出てきます。「ん?何だか聞き慣れない言葉だし、ちょっと差別的だな。」と私は感じましたが、皆さんはどうでしょうか?この言葉は皆さんと礼拝の中で歌っている「ヌンクディミティス」の中にも出てきます。一昔前に流行った歌謡...
今、ご一緒にお読みいただいた聖書の箇「エフェソ2:11-13」において「異邦人」という言葉が出てきます。「ん?何だか聞き慣れない言葉だし、ちょっと差別的だな。」と私は感じましたが、皆さんはどうでしょうか?この言葉は皆さんと礼拝の中で歌っている「ヌンクディミティス」の中にも出てきます。一昔前に流行った歌謡...
「今朝はイエス様のお話を聴いたから、一日私は良い行いができるわ。」と張り切ったとしても自分の理想通りに動けなかったり、思っていたような結果が出なかったりして、「やっぱり今日もダメだったわ」とか「私ってやっぱりダメね」と思ったりしたことがあるのではないでしょうか。自分のせいにしないですべてを周りの...
今ご一緒にお読みしました「2コリント5:16-21」において、「キリストによって私たちは神様と和解させていただき、神様によって義とされた」と語られています。和解?義とされる?「そんなこと私は望んでいないし、どうでもいいじゃん。」と思われる方も少なくないと思います。
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所「1コリント3:10-17」の語り始めにおいては「イエスキリストを土台としない建物の結末は滅びだ」と、なんだか怖いような恐ろしいことが語られています。
「知恵」とはなんのことでしょうか。似ていますが「知識」とは違います。今ご一緒にお読み致しました聖書の箇所「1コリント2:6-16」においては、繰り返し「この世の知恵」と「神からの知恵」というようなことを語ります。「この世の知恵」は滅びるが「神からの知恵」は滅びない。
執り成して下さる「霊」とは何のことでしょうか?それは神様です。「霊」と言われるとどうも頼りなく、本当に信じてよいのか疑いたくなる方も少なくないかもしれません。
今ご一緒にお読み致しました聖書の箇所「ローマ8:1-11」において、「肉なる存在」と言われている存在と、「霊なる存在」と言われている存在は誰のことなのでしょうか。
新約聖書の一番始めから読もうとして、人の名前が、しかもあまり日本では聞き慣れないカタカナの名前がずらずらと書かれていて、「よし、聖書を読むぞ」という決心が何度もくじけそうになった覚えはありませんか?私はあります。確かに新約聖書の一番初めの「マタイによる福音書」には、はじめに神様が造られたアダムか...
「神様からのお導きで」とか「イエス様のお導きで」という言葉は、なんの抵抗もなく私たちは聞きますが、「霊のお導きで」と言うのは、なんとなく怪しいように聞こえることがないでしょうか?それは私たちが持っている「霊」という言葉のイメージから来るのかもしれません。目には見えない得体の知れない力であるとか、...
今ご一緒にお読み致しました聖書の箇所「使徒3:1-10」において、ペトロさんとヨハネさんというイエス様の弟子である人たちが、生まれつき足が不自由で歩くことができなかった人を、自分の足で立ち上がって歩けるようにする奇跡を行います。神様による奇跡、イエス様のお名前によって起こる奇跡とは何でしょう。