
こんな近くにも
幼い頃、この聖句を読んでギョっとしてしまったのは私だけでしょうか。聖書を読みながら私は、「イエス様はいったい何肉になって、私たちの身近にあるの?」なんて考えてしまう自分がいけないと罪悪感を感じたりしていました。
幼い頃、この聖句を読んでギョっとしてしまったのは私だけでしょうか。聖書を読みながら私は、「イエス様はいったい何肉になって、私たちの身近にあるの?」なんて考えてしまう自分がいけないと罪悪感を感じたりしていました。
神様である聖霊は、私たちの過去や未来、現在、一体どの時に一緒におられるのでしょうか。答えは「今」です。
「あなたは神を信じますか?」昔、何かのコマーシャルで、英語なまりの怪しい宣教師風の外国人がこの言葉を話していたような覚えがあります。 「あなたは神を信じますか?」キリスト教というと、今でも外国からきた宗教というイメージがあって、 外国人の宣教師や神父、牧師がやさしく良いお話をして下さるというイメ...
今朝ご一緒にお読み致しました聖書の箇所において 「主に結ばれているのならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことをあなたは知っているはずです。」15:58 と語られています。 そんなこと知らないよ、と思われる方もおられるかもしれませんが「主に結ばれていないものなんて。」とは語られておりません。
今ご一緒に聴きました聖書の箇所において、イエス様は初めに「天の国は次のようにたとえられる。」と語り始められます。
「天の国はからし種のようだ。天の国はパン種に似ている」イエス様は天の国は小さいんだよ、と私たちに語りかけられているのでしょうか。
「この言葉って誰が誰に言っているんだろう。」って思われる方も多いかもしれません。「この言葉はイエス様がおっしゃってる言葉だわ。」とすぐ思われる方もおられると思います。そうです、これは神様であるイエス様が聖書を通して、聖書を読む私たち一人一人に今、語りかけて下さっておられるのです。「私は聖書なんか...
「イエス様って十字架にかかられて亡くなってから葬られて、三日後に復活されて今も生きておられるんですよね。これって本当なのかしら。教会ってずいぶん不思議なことを信じている人たちの集まりなのね。」と言われたら、正直私も「そうかもしれませんね」と言うかもしれません。
「霊」に導かれるとはどういうことなのだろうか、と考えていたとき、私は数年前こんなことを言われて自分が考え込んだことを思い出しました。それはこのような言葉でした。 「僕らは神様の操り人形みたいだね」 「霊」に導かれるって神様の操り人形になると言うこと?何か違うけど上手く言えないな。
聖書で語られているペトロさんやヨハネさんが言っている「わたしたちが見たり聞いたりしたこと」ってイエス様が行われた奇跡や話された言葉の数々のことなのでしょうか。