全ての一人一人が神様に大切な存在だから
「異邦人」「地の果てまでに」と言葉だけ聞くといくら聖書でも差別的にも聞こえるし、極端にも聞こえるような気がするのは私だけなのでしょうか。 今、共に聴いた聖書の中で語られるみ言は聖書に登場するパウロやバルナバだけに語られているわけではなく、あなたへ今、神様から語られています。聖書が書かれた時代...
「異邦人」「地の果てまでに」と言葉だけ聞くといくら聖書でも差別的にも聞こえるし、極端にも聞こえるような気がするのは私だけなのでしょうか。 今、共に聴いた聖書の中で語られるみ言は聖書に登場するパウロやバルナバだけに語られているわけではなく、あなたへ今、神様から語られています。聖書が書かれた時代...
神様は特別な人だけ選び、まるでその人を物であるかのように扱う方なのでしょうか。いいえ違います。世界中にいる全ての一人一人が神様に必要とされ、その一人一人は神様に造られた一人一人として大切に大切に用いられているのです。
愛の反対語は無関心です。と言われた方がいました。ふーん憎しみじゃないのか。と少し思いました。 日常の中、ただ自分が歩く時に踏んでいる土は関心を向けると温もりを感じさせてくれたりします。あまり気にしなかったそこらへんに生えている草や花も関心を向けると、やさしく微笑んでいるように感じたり一生懸命...
勝利しようって、神様なのに勝ち負けなわけなの? 確かに聖書には『死は勝利にのみ込まれた。』1コリント15:54とも語られています。エー!死なせてくれないの。そのようにも思われる方もおられるかもしれません。ただ、聖書で語られているのは「肉体の死だけが命の滅びではありませんよ」と言うことです。そのこと...
イエス様って私たちにイエス様の方から近付いて来て共に歩んで下さっているんですね。そして、驚いたことに悩んでいる私の心に「どうしたの?」と言って寄り添って下さる。私は、そのようにいつも私の心に寄り添って下さるイエス様に気付いているのでしょうか。私が気付いても気付かなくても神様であるイエス様はいつも...
おはようございます。ある日の夜中、病室の向かいのベッドのカーテンの向こうで看護師さんに訴えている声が聴こえてきました。「こんな痛い思いをするのなら殺して」 そのような時、苦しみのただ中におられる人に「神様に祈りなさい。」なんて言えるでしょうか。私はただ黙って、その人のために祈るしかできませんでし...
あなたは何度イエス様と出会いましたか?今日与えられました聖書の箇所「ヨハネ21:14」で、「イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である」と語られます。
ヨハネによる福音書の1章1節は「初めに言(ことば)があった」と始まります。イエス様が語りかけられるみ言は、聖書を読んでいる私たち一人一人に今も語りかけられています。私たち一人一人は今どこで生きているでしょうか。私たち一人一人の命はどこで誰が造ったのでしょうか。
おはようございます。ひそかにイエス様に終わりの時の徴について聞く弟子たちに「私はあなた方一人一人と共にいて、全てを与えているじゃないか、まだわかってくれないのか。」とイエス様は言われません。ただ、「人に惑わされないように気を付
「ばっかじゃない。この人こんなに何回も使用人にひどい目にあっているのに」と思われる方も少なくないと思います。実際この聖書の箇所を読んだとき私も思いました。