
あなたはもう信じられています
「信じる」ということは、いったいどういうことなのでしょうか。自分の思い通りに物事が進むようになれば信じられるのか、自分が納得いけば信じられるのか。逆に考えもしなかったことが目の前で起こると、いくら奇跡を願っていたとしても、信じられないほど驚かされることもあります。
「信じる」ということは、いったいどういうことなのでしょうか。自分の思い通りに物事が進むようになれば信じられるのか、自分が納得いけば信じられるのか。逆に考えもしなかったことが目の前で起こると、いくら奇跡を願っていたとしても、信じられないほど驚かされることもあります。
およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になってそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。(ヘブライ人への手紙12章11節)
死ぬのが怖いです、かあ・・・。わしも若いころはそうじゃった。 わしは学生時代に二度死にかけたことがある。一度目は腰に差して...
「我慢のゴールデンウィーク」が終わり、人出はコロナ以前に比べればかなりの減少がみられたというが、昨年に比べると人出は増加し、感染者の急激な減少とはならなかった。感染者・重症者の棒グラフ、重症化した人々の辛い状況、遅々として進まぬワクチン接種等々、連日ニュースに取り上げられ、心を痛める日々が続く。
漁にでる漁師さんが「わたしは漁に行く」と言っても何の不思議はありません。しかし,時と場合にはよらないでしょうか?
わたしは弱いときにこそ強いからです。(コリントの信徒への手紙二、12章10節)
ドイツは州によって祝日が異なる。しかしどこの州でも、 聖金曜日、イースター前日の土曜日、イースター、イースター翌日の月曜日...
「何のために私は生まれて来たのだろう。」 このような思いを少なからず一度はお思いになられたことはないでしょうか。「何のために私は生まれて来たのだろう。」私もこう問わずにはおられない、そんな心の追いつめられた状態になるときがあります。
私は2000年4月市川教会に着任したが、就任式は同期で当時の東教区常議員であった故H牧師が執り行ってくれた。子ども4人いることも知っていたので、彼は沢山のショートケーキを手土産に来てくれた。心遣いはとても嬉しかったのだが、中身は全て違う種類のケーキ。
四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず (コリントの信徒への手紙二、4章8節)