いつも
神様へ心を向けるとはどういうことでしょうか?特別な修行や勉強をしなければできないことなのでしょうか。力や知識、経済力の問題ではなさそうです。
神様へ心を向けるとはどういうことでしょうか?特別な修行や勉強をしなければできないことなのでしょうか。力や知識、経済力の問題ではなさそうです。
三週間に亘る牧師館の風呂場全面改修工事が今週で終わる。
「あれ、今私こんな気持ちでいたんだ」と気づかされる時がありませんか?そのような時や「こんな気持ちを抱いてもいいのかな?」という時があったり、聖書の言葉は飾りません。
私の足音を聞きつけた我が家の犬モモが戸口の前で待っている、私からオヤツをもらうために。モモは白内障によって1年程前から目が殆ど見えていない(ようだ)。
この挨拶が交わせる「今」というかけがえのない時は、当たり前のことでは決してなくて、神様から与えられるあなたへの恵みです。
少年時代、私が悪いことに巻き込まれそうになる時、悪いことをしそうになる時、心配な事が起こった時、事あるごとに脳裏に浮かんでくるのが「母の泣く顔」であった。
私たち一人一人には大切な宝物があるのではないでしょうか。それは、自分の年齢や環境によって変わる物なのかもしれません。
正直に今日は告白しよう、日曜日の夕方、私がテレビで何を観ているかを。
神様が共にいて下さるって、どのようなことなのだろうと、思いめぐらしている時、電話のベルが鳴り、親戚の訃報を聞きました。
「ぼくしせんせい、かみ きった!?」と、散髪後の最初の保育園礼拝に行くと子ども(たち)に声を掛けられる。