
老いつつ「これから」を生きる
老いの日にも見放さず、わたしに力が尽きても捨て去らないでください。(詩編71編9節)
老いの日にも見放さず、わたしに力が尽きても捨て去らないでください。(詩編71編9節)
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。(ヨハネ3:16)
リモートで会議を行い始めてしばらくの頃、「経費も時間も随分節約になる。できればこれからもリモート会議で済ませられたらどんなに楽なことか」というのが感想であった。
神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ず そこにいまして助けてくださる。 (詩編46編2節)
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所は、バラバという悪党が主イエスの代わりに恩赦を受け、解放されていく場面です。いつも読んでいるはずなのに、いつも新しい発見があるのが聖書のみ言であるともいえるのではないでしょうか。それは聖書のみ言が今、読む一人ひとりに生きて働きかけられるからなのです。
主を待ち望め、雄々しくあれ、心を強くせよ。主を待ち望め。(詩編27編14節)
「あなたがたも知っているとおり、二日後は過越祭である。人の子は、十字架につけられるために引き渡される。」(マタイ26:2)
わたしを苦しめる者を前にしても、あなたはわたしに食卓を整えてくださる。(詩編23編5節)
招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない。(マタイ22:14)
悲しみ、嘆き、泣きなさい。笑いを悲しみに変え、喜びを愁いに変えなさい。(ヤコプの手紙4章9節)