いつもここにいます
とある日の夜中、病室の向かいのベッドのカーテンの向こうで看護師さんに訴えている声が聴こえてきました。「こんな痛い思いをするのなら殺して」
とある日の夜中、病室の向かいのベッドのカーテンの向こうで看護師さんに訴えている声が聴こえてきました。「こんな痛い思いをするのなら殺して」
ご一緒にお読み致しました聖書の箇所「マルコ15:39」で、「本当にこの人は神の子だった」と百人隊長と呼ばれる人の言葉として語られます。 聖書から聴くあなたには、今、どのように語られていますか。
私は数年前、自分の身体の不調に悩んだあげく病院へ診察を受けに行きました。淡々と語っておりますが、とても勇気がいることで何年も何年も悩んだ末のことです。
『人の子よ,帰れ』(詩編90:3)と聖書は私たち一人ひとりに語られます。私たちはどこに帰ればいいのでしょうか?
おはようございます。『神はキリストによって世を御自分と和解させ』2コリ5:19とあります。別に神様と和解しなくても私は生きていけるよ聖書は何を言ってるのかしら?と戸惑われる方もおられると思います。 ある朝,私は新聞の二つの
おはようございます。「あなたの命は誰のものですか?」と聞かれたとしたら、あなたは何と答えますか?急にこのような質問をされた時、うろたえるのかもしれません。そんなことわかりきっているよ、と怒るかもしれません。今は自分のものだからです。ただ、あなたと言う命が胎の中に在ることをお母さんが知った時、「...
「イエス様って十字架にかかられて亡くなってから葬られて、三日後に復活されて今も生きておられるんですよね。これって本当なのかしら。教会ってずいぶん不思議なことを信じている人たちの集まりなのね。」と言われたら、正直私も「そうかもしれませんね」と言うかもしれません。
「霊」に導かれるとはどういうことなのだろうか、と考えていたとき、私は数年前こんなことを言われて自分が考え込んだことを思い出しました。それはこのような言葉でした。 「僕らは神様の操り人形みたいだね」 「霊」に導かれるって神様の操り人形になると言うこと?何か違うけど上手く言えないな。
「信仰」ってなんでしょうか?文字通りに言うと「信じて思い仰ぐこと。」わかったようなわからないような。そうです、他の人が「標準的にはね」と言えない、あなた自身の心のあり方を言います。
え、ユダがわざわざ合図をしなければイエス様ってわからなかったの。」この聖書の箇所を読む度に私は思いました。初めてみことばにであわれる方も「イエス様って、そんなにいつもご自分の身を隠されておられたのかしら」「イエス様の正体を暴くために、ユダは合図を決めたのかしら」と思う方も少なくないと思います。...