惜しみなく与えれば、結果はそれなりに得る

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第四章 自戒するとき

人はだれしも自分自身のなかにあるいやなものを見つめたくはない。同時に、だれひとりとして自分のなかにいやなものをもたない人はいない。自戒するとは、自分のなかのいやなものと正面から向き合うことである。向き合うことによって、いやなものを捨てることが自戒ではない。自分にとっていやなものが果たしてきた意味を知ることであり、そこから新しく生きる自分を学び取ることが自戒である。そのとき、いやなものはただいやなものとしてあるのではなく、新しい自分をつくるためのエネルギーとしてあると受けとめることである。

惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです。(コリントの信徒への手紙二、9章6節)

【解 釈】 たとえ百万円のなかから千円を人に与えるとしても、いやいやながら与えるとすると、損をするような気持ちになる。 一方、一万円のうち千円を与えるとしても、喜んで与えるなら、豊かな気持ちを得る。「多く蒔けば多くの収穫が得られ、少なく蒔けば収穫も少ない」とは、ちょうどそれと同じである。多く蒔く時は、喜んでいるから多く蒔くのである。結果は、多くの収穫を手にすることになる。少なく蒔くとは、けちけちと惜しんでいるから少なく蒔くのである。結果としては、当然収穫は少ない。

パウロは、収穫を目的にして、蒔く種の量を多くせよと言っているのではない。収穫はあくまで結果である。大事なことは、惜しんで蒔くか、喜んで蒔くかである。喜んで蒔けば、当然多く蒔く。惜じめば、けちけちと蒔く。人はその結果を手にするのである。たとえ少ない収穫だったとしても、喜んで蒔いた者は、豊かな実りに感謝するにちがいない。

【こころ】 「どんな大きな変化も、小さな変化から」と言います。カウンセラーは人の問題解決にあずかるプロセスのなかで、この変化に注目します。問題の解決は、何事によらず、変化なしには起こらないからです。しかしながら、どのような変化も、最初は小さい変化から始まります。

この小さな変化は、相手をよく観察して、全神経を集中して関わっていないと察知できません。面倒だなとか、適当に早く切り上げてなどと考えているようだと見過ごしてしまいます。相談者がいろいろと苦しみ、解決に向かって行きつ戻りつするなかで、ほんの少し頬に笑みを浮かべたり、ほっとして頭をもたげたりするのを見たとき、嬉しくなります。小さな変化が見えるからです。

意を尽くして精いっぱい努力をすれば、その結果が小さくとも豊かさを手にすることができます。何事であれ、適当にほどほどにと手抜きをすれば、大きな結果を得たとしても満足はありません。

賀来周一著『実用聖書名言録』(キリスト新聞社)より

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