心を向けるとは~自然に、気負わずに~
祈り)天の神様、新しい命、新しい目覚めをありがとうございます。
「私はもう十分生きました。そろそろ...」と思う方や「まだまだ私は生きたい。もう少し」と思われる方もおられると思います。私たち一人一人、いろいろな思いや、いろいろな経験をして今ここに生かされています。その一人一人の思いを、神様あなたは同じように大切にして下さいます。「こんなことたいしたことない」とか、「くだらないことで悩むなぁ」なんて、決しておっしゃいません。一人一人が感じるそのままを受け入れてくださいます。神様、あなたの愛は私たち一人一人をまるごと包んで下さるのです。「私たちは生きていてもいい」と、いつもそのまま許して下さる神様に心を向けて歩めますように。
これから語られますみ言葉、この語る者を通してここにおられるお一人お一人へと神様あなたがお語り下さい。この語る者のすべてをお委ねいたします。
このお祈りを、主イエスキリストのお名前によってお祈り致します。
アーメン。
【聖書】詩編9編2〜11
主よ、御名を知る人はあなたに依り頼む。あなたを尋ね求める人は見捨てられることがない。 (詩編9:11)
神様へ心を向けるとはどういうことでしょうか?
特別な修行や勉強をしなければできないことなのでしょうか。力や知識、経済力の問題ではなさそうです。それでは生まれた土地や国、時代の問題なのでしょうか。そうでもありません。特別な土地や力などがなくても、神様に心を向けることができます。
神様に造られたすべてが、私たちに教えてくれます。自然や人の笑顔、星の輝きや木々の香りかもしれません。ただ、私たちが忙しくて心に余裕がなかったり、何か偏った価値観に振り回されている時は気づかないかもしれません。
私の家にはシンピジウムという植木があります。その木の葉や花のつぼみはどの部屋に置いても、部屋のどこに置いてもちゃんと太陽の方に向きます。光の方向へと向くのです。神様に心を向けるってこのようなことかもしれません。
誰かに教えられなくても、もうすでに私たち一人一人の魂は自分を造って下さった神様を知っていて、いつも神様へと向いているのです。だから、私たちは気負うことはありません。あなたは神様に造られている存在で、神様に心をいつも神様に向けているのです。