バッハの教会音楽、BWV767、BWV770

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若い日の作曲

アルンシュタット時代の作曲と特定できるものは多くはない。しかもみなオルガン曲、それもコラール(賛美歌)をオルガン曲に展開したものである。コラールの主旋律を生かしながら、コラールの各節毎の歌詞に応じた巧みな展開を試みたもので、「コラール・パルティータ」と呼ばれる、若い日だけに限られた試みだった。そこには少年の頃に深く心に留めた北ドイツのオルガニストや、特にブクステフーデなどの影響が強いと言ってよいだろう。恐らくいずれもルーテル教会の礼拝で一部または全部が演奏されたに違いない。私がバッハのオルガン曲を聞き始めた初期(その頃はアルヒーヴ版のH.ワルヒャの演奏で聴いたと思うのだが)から、私はこの一連の曲が好きである。アルンシュタットのすぐ後の作曲になるのかも知れないが、「おお神よ、いつくしみ深い神よ」(BWV767)や「ようこそ、優しいイエスよ」(BWV770)は好んで聴きもすれば、その手鍵盤曲などは一人だけのチャペルで少し弾いてみたりもしたものだった。

22歳の初夏、帝国都市だったミュールハウゼンのルーテル教会、聖ブラジウス教会のオルガニストに就任して2年間その務めを果たした時期は、若いバッハがその青年期を総括して、次の成長を遂げる年月だったろうか。コラールの各節を生かすという特徴を維持しながら、最初の教会カンタータを作曲していることでもそれが分かろう。

カンタータ第131番「深い悩みから私は呼ばわる」や第4番「キリストは死の布に横たわる」はいずれもルターのコラールをカンタータに作曲したものだし、叔父の葬儀のためのカンタータ第106番「神の時は最善の時」や親しい牧師の結婚式のための第196番「主はわれらを思いやる」など、いずれもバッハの若い日々を総括する名曲と言ってよいだろう。

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