生きてていいんだよ
祈り)
天の神様、私たち一人一人に新しい目覚めをありがとうございます。
私たち一人一人には目を背けたくなる現実も、
こんなこと夢にも思わなかったという現実も、襲いかかって来ることがあります。
今の自分にはどうしようもない、どうすればいいのかと迷います。
しかし、それら一つ一つから逃げるのではなく、
また周囲の人たちに当たり散らして受け入れないのでもなく、
その一つ一つが自分に与えられた現実であることを、すぐに受け入れることができてもできなくても、
自分のペースで受け入れていくことができるように
神様、いつもあなたが共にいて励ましてください。
これから語られます神様、あなたからのみ言この語る者を通して
神様、あなたがここにおられるお一人お一人へとお語り下さいますようお願いします。
この語る者の全てを神様、あなたへお委ね致します。
このお祈りを主イエスキリストのお名前によってお捧げ致します。
アーメン。
「しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。」 フィリピ3:20
おはようございます。
今ご一緒にお読みしました聖書の箇所の中の「フィリピの信徒への手紙3:20」においてこのように語られています。
「しかし、わたしたちの本国は天にあります。」と。
私は2011年の5月28日の土曜日に熊本にある健軍教会で、
「小羊会」という、教会を中心とするしょうがい者の会の50周年の記念礼拝で説教者として用いられました。
台風がそれたものの雨がたくさん降っている中、90人もの人たちが集められました。
その会の始まりはエリス先生と言われる宣教師のお宅で、
何人かのしょうがいを持つ方々が集まって共に食事をすることから始まったそうです。
集まって食事をするだけで、その会が何かの社会運動をするわけではありません。
ただただ一緒にいるだけです。
やがていろんな教会で例会をするようになって、今では50年です。
このような思い出話をした方もおられました。
○○さんが生きてる頃、家族に「お前は○○家の恥だ」とも言われたそうです。
「そうではない。全ての一つ一つの命が大切なんだよ」と神様は言われます。
はじめに申し上げたように「しかし、わたしたちの本国は天にあります。」なのです。
神様に心を向けるとき、一人一人がどんな状態にあっても大切なのです。
小羊会はどんな宗派でも、そして教会へ行ったことがない人も、
神様の愛によって集められた方々が「神によって愛されている者」として安心して集っている場です。
熊本にあるその小羊会の例会は決まった教会はありません。
決まった宗派もありません。
ただあるのは、私たち一人一人は神様に造られて、神様に愛されて、
今生かされているんだという思いです。
「しかし、わたしたちの本国は天にあります。」
私たち一人一人も同じです。
神の愛の中を安心して生きて行けますように。