あなたが大切だから
祈り)
天の神様、新しい目覚めを私たちにありがとうございます。
今日も一日が始まりました。
なんとなく今日を迎える人や、
すごい!新しい一日も迎えることができた、と思う人、
人が存在すればその人数の分だけ感じ方があります。
しかし、それぞれの人が感じる感じ方はその違いがあってこそ、
生きていることを実感することがあります。
それは、きっと子どもと大人や、ご高齢の方、それぞれにも違ってくるのでしょう。
感じるということが私たちの命を支える大切な役目をしていることも、
心のことを考えるときも身体の健康を考えるときも、
考えさせられることがたくさんあります。
与えられる一瞬一瞬も神様、あなたによって支えられていることを感謝できますように。
これから語られます神様あなたからのみ言、この語る者を通して
神様、あなたがここにおられるお一人お一人へとお語り下さいますようお願いします。
この語る者の全てを神様あなたへお委ね致します。
このお祈りを主イエスキリストのお名前によってお捧げ致します。
アーメン。
「イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたのです。」ローマ4:25
おはようございます。
私たちは今、生かされてここにいます。
いやいや私は違うと、もしおっしゃる方がおられても
ご自分がご自分の生き方を選ばれてきたのかもしれませんが、
その意思を支え、一人一人に命を与えて下さっておられる方がいるからだと思います。
生きている中で私たちは、必要だけど相反するものなのではないかと思うような大切なことを、抱えることがあるのではないでしょうか。
「信仰」と「律法」も同じです。
どちらも人の命を守るためには必要です。
困ってしまう時もあります。どちらも大切だと思うが故に命が犠牲になるときがあるときです。
イエス様がこの世に見えるかたちで生きていらっしゃったとき、
「律法」を理由にする多くの人に批判をされ、裁きにあいました。
お腹がすいていたため律法を守れない人や、
病をイエス様が癒された時が律法では仕事をしてはいけない日と定められていたり。
しかし、何が本当に大切なのでしょうか。
それを教えて下さったのは偉い学者でも、歴史上の偉い人でもありません。
それはイエス様である神様です。
いろんな事情があって親も子どもに直接伝えられないこともあるかもしれません。
でも神様はあなたに直接語りかけて下さいます。
「あなたは大切なかけがえのない存在です。」と
律法を守るために命があるのではありません。
一人一人の命を守るために律法があるのです。
そして律法を守る大切さは、一人一人の命を大切にされる神様への信仰が教えてくれます。
今、神様に生かされてある命。
一人一人の存在は大切です。