心に神様が溢れます
祈り)
天の神様、私たち一人一人に新しい目覚めをありがとうございます。
感情的に受け入れられない現実に直面していたり、
とても身体がだるい時があったり、
どうしても心が立ち上がれない時があったり、
私たち一人一人は違う目覚めや、時を感じます。
でもそれは、生きていることです。
自分では受け入れられないことでも、
どうしようもなく困った状態であっても、
神様は私たち一人一人を信じて、
必ずあなたなりに乗り越える希望を与えて下さいます。
神様は私たち一人一人を決して裏切りません。
神様そのようなあなたを疑ってみたり、
恨んでみたりする私たちを赦し愛して下さることを感謝します。
これから語られますみ言、この語る者を通して
ここにおられるお一人お一人へと神様あなたがお語り下さい。
この語る者の全てを神様あなたへお委ね致します。
このお祈りを主イエスキリストのお名前を通してお祈り致します。
アーメン。
『主の名を口にすまいもうその名によって語るまい。
と思っても主の言葉は、わたしの心の中骨の中に閉じ込められて
火のように燃え上がります。
押さえつけておこうとしてわたしは疲れ果てました。
わたしの負けです。』エレミヤ20:9
おはようございます。
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所に語られている言葉は、
エレミヤという人の告白と題がつけられております。
エレミヤは預言者です。聖書で語られている預言者という人は、
予め起こる未来のことを予言する、昔、流行ったような
「ノストラダムスの大予言」や地震などの天災を予知するような予言者とは違います。
聖書で語られる預言者は「神様から言(ことば)を預かる人」として言葉を語っています。
イザヤ書として旧約聖書に書かれているイザヤというのも預言者の名前です。
預言者は予言者と同じように未来を語りますが
「神様へ心を向けて悔い改めてほしい」というような、
神様からの祈りのメッセージも人々に伝えます。
悔い改めましょうという呼びかけをする前には、
もちろん「今のままだと」という説明もします。
「今のまま」神様に心を向けることを忘れたまま生活を続けると、
このようになるけど「神様はそうならないようにと私を遣わしたんだよ」と語ります。
今、現在を生きている私たちも同じです。
「悔い改めなさい」と言われて「はい、そうします。」とすぐに素直に言えないのが私たち人間ではないでしょうか。
楽しいから後にしてとか、今忙しいからとか、
そのような時に「神様に心を向けなさい」なんて言われたら、
言った人を責めたりバカにしたりするかもしれません。
それでもエレミヤは神様の言(ことば)を自分は語らずにはいられないと告白しています。
心の中心に神様を保つということは辛いと感じる時もあるかもしれませんが、
自分が神様を心の中心に保っているのではなく、
もうすでに、神様がいつも私を保って下さっていることを思い起こすことなのです。