全ての一人一人はかけがえのない存在

マタイ7:1-6 
​ 7:1 「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。 7:2 あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。 7:3 あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。 7:4 兄弟に向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。 7:5 偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる。 7:6 神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう。」 7:7 「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。
  
 

祈り)
天の神様、新しい目覚めをありがとうございます。
今の季節、いろいろな気候の毎日が続いております。
お一人お一人のご健康をお守りください。

今、この瞬間にも新しい命がこの世に誕生しています。
また、この世での生涯を終える方もおられます。
生まれてくる命、この世の生涯を終える命、
そして今、ここに与えられ生かされている命、
それら一つ一つがあなたに愛されてあなたに造られています。
私たち一人一人が神様から与えられる繋がりの中を、
一歩一歩噛み締めて大切に生きることができますように。

これから語られます神様、あなたからのみ言、
この語る者を通して神様、あなたがここにおられるお一人お一人へとお語り下さいますようお願いします。
この語る者の全てを神様あなたへお委ね致します。

このお祈りを主イエスキリストのお名前によってお捧げ致します。

アーメン。

 

『人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。』マタイ7:1

おはようございます。
「豚に真珠」ということわざが思い浮かぶ聖書の箇所です。
それは、いくら自分が価値のあるものだと思っていても、
その価値をわからないものに与えても意味がない、というような意味だと覚えています。
「人を裁くな」とイエス様はお教えになります。
それは「悪いことした人を見逃してやりなさい。」とか、「人殺しはいいことですよ。」と教えられているわけではありません。

誰が見ても危ないことや悪いことって何でしょうか。
もちろん人の命を奪ってしまうことは良くないことです。
しかし、その罪を犯してしまった人を裁くことは私たちの価値観や正義だけで解決できるのでしょうか。
イエス様のことを考えてしまいます。
イエス様を十字架につけて殺してしまったのは他でもない私たち一人一人です。
でもイエス様はどのような生き方をされたのでしょうか。
人に仕え、愛を伝え、愛に生きた方です。
しかし、イエス様が生きておられた当時の社会の価値観や正義において、
イエス様は裁かれ、十字架に架けられてしまいました。

今を生きて聖書に聴いている私たちには、とんでもないことを当時の人々はしてしまった、
そう思うことだけで済むことなのでしょうか。
イエス様が生きておられた時代も今も変わらない価値観があり正義があります。
それは神様による愛です。

今、与えられました聖書の箇所において、イエス様が私たちに「人を裁くな」と言われておられる意味は
「人を裁くことはあなたはしなくてもいい。人を裁くことは神様へお任せしなさい。」という意味なのです。
私たちには到底、測り知れない一人一人の事情があり、置かれた立場もあります。
それら全てを、人間である私たちには把握しきれないし、把握できなくてもいいことです。
神様は全てご存じです。
全てをお委ねできる方を私たちは知っているのです。