いつも心の中心に
祈り)
天の神様、新しい目覚めをありがとうございます。
私たち一人一人の命はどこから来たのでしょうか?
私たち人間はロボットや機械や物とは違います。
いくら作者が精魂込めて作ったとしても、
それは「命が宿っているようだ」と表現されたとしても、
本当に命は宿っておりません。
私たち人間一人一人は、神様あなたに命を与えられ生かされています。
同じようにではなく、一人一人が違うそれぞれの人生を歩みます。
人と比べるのではなくて、一人一人がかけがえのない存在であることを
思い起こして、感謝して歩めますように。
これから語られますみ言、この語る者を通して
ここにおられるお一人お一人へと神様あなたがお語り下さい。
この語る者の全てを神様あなたへお委ね致します。
このお祈りを主イエス・キリストのお名前を通してお祈り致します。
アーメン。
『神よ、わたしを憐れんでください御慈しみをもって。深い御憐れみをもって背きの罪をぬぐってください。』詩編51:3
おはようございます。
日本では八百万(やおよろず)の神として、いろんな所に神様がおられるとの昔からの習慣があります。
物や自然を敬い、大切にするということはどうでもいいことではなく、
私たち人間には必要なことです。
ただ、物や自然を敬うということと、
それら全てを造られた神に祈るということは違います。
私たちは祈るとき、誰に向かって祈るのでしょうか。
自分の願いや悔い改めのときの祈りと、自分以外の人のために祈る時に願う相手は違う
という方はおられるでしょうか。
また、「憐れんで下さい」と祈らなければ、
神様は私やあなたを憐れんでくださらないのでしょうか。
罪をぬぐって下さらないのでしょうか。
神様はそのようにケチではありませんし、鈍感でもありません。
ただ一つであり真実な神様は、
あなたが心を向けて祈る前からあなたを憐れみ、
あなたを罪からぬぐって下さっています。
ただ、あなたが心を神様に向けないと、
神様から自分が今、憐れみを受けており、
自分が今、神様から罪をぬぐって頂いていることさえ気付かないのです。
神様が人間にケチでも鈍感でもないように、私たちも神様へ出し惜しみなく
素直でありたいと思います。