
ただ、ひと言
私たち一人一人は、いつでもどんな時でもどんな場所でもできることがあります。 それは、人を思うことです。 心配することや、妬むことや、恨むこともできますが、 心の中心に神様を置いて、自分の思いを神様に委ねるのなら、 その願いや思いは、心配や妬みや恨みではなく、愛に変えられるのではないでしょうか?
私たち一人一人は、いつでもどんな時でもどんな場所でもできることがあります。 それは、人を思うことです。 心配することや、妬むことや、恨むこともできますが、 心の中心に神様を置いて、自分の思いを神様に委ねるのなら、 その願いや思いは、心配や妬みや恨みではなく、愛に変えられるのではないでしょうか?
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所マタイ4:23-25の最後の文章に「大勢の群衆が来てイエスに従った」と書かれています。 イエス様に従うとはどういうことなのでしょうか。 イエス様に会うことができない、現代に生きる私たちはイエス様に従っていないのでしょうか。
暑い日が続くと思ったら急に寒くなったり、皆さん体調を崩されたりしていませんか? ご自分でいくら注意して歩いていたとしても、どこからか何かが飛んでくるかもしれません。 私みたいに車椅子ですと、自分自身で外出を控えるどころか ほとんど強制的にどこにも行けなくなります。
寒い時に暖かさを求めたり、暑い時汗をかくことや、 喉が乾いて水や飲み物が欲しくなること、 いろんな小さなことが私たちの体の反応として起こります。 たまに我慢をしてしまうと、それがたとえ意識されていないとしても、 時期によっては熱中症であったり脱水症状であったり体に異変が起こったりして慌てます。 ...
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所マタイ7:13において、 イエス様は「狭い門から入りなさい」と語り始めます。 なんかとても難しい事をイエス様は言われておられるのでしょうか。 いいえ、難しいことはイエス様はおっしゃいません。 ただ、この世の価値観だけに捕われてしまっていたら、 難しく感じてしまう...
私は何のために生まれてきたのだろうか。 あれもできないし、これもできないし、 なんて思う事はありませんか? 私はあります。私の今かかっている病気は本当にゆっくりですが、 できていたことが、自分の目に見えて少しずつできなくなります。 皆様の目に見えてよくわかることでは、 自分の足で歩くことができづ...
イエス様はご自分の話を聞きたいと集まってきた人々に 「天の国」について、そこにいる人々にわかりやすいたとえで話されます。 今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所は丁度そのような箇所です。 とは言っても、からし種ってどういうものだろうかとか、 お金を払えばすぐおいしいパンが買えてしまうような、 パ...
祈り) 天の神様、私たち一人ひとりに新しい目覚めをありがとうございます。 今、自分に与えられているもの、それはたくさんあります。 それら...
私たちが今生きている世界が、とてもとても大きく感じることもあれば、 とても小さく感じることもあります。 自分自身の存在もとても大きく見えたり、小さく感じたりします。 でも、実際の大きさは変わりません。 変わるのは自分の持つ価値観です。
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所に語られているイエス様のお姿は、 いつも聖書に語られている温和でやさしいイエス様のお姿とは全く違い、 激しく怒り悲しむ姿が語られています。 しかし、イエス様は決して感情的なヒステリーを起こして、 周りの人々に当たり散らしたのではありませんでした。