誓いはその時の本気

祈り)天の神様、私たち一人ひとりに新しい目覚めをありがとうございます。
このように神様あなたに心を向ける時間は今日一日でどのくらいあるでしょうか。
神様、あなたから一人ひとりにたくさんの時間が与えられています。
しかし、その時間をどのように過ごすのかは私たち一人ひとりに任されています。
神様は「せっかく私が与えているんだから、このように時間を使いなさい」とは言われません。
一人ひとりが自由に精一杯過ごしていることを見守って下さっています。
私たちは同じ時間を過ごす中でも、少しでも神様あなたへ心を向けて過ごすことができますように、お守り下さい。

これから語られますみことばこの語る者を通して、ここにおられるお一人お一人へと神様あなたがお語り下さい。
この語る者のすべてを神様あなたへお委ね致します。

このお祈りを主イエスキリストのお名前を通してお祈り致します。
アーメン。

【参照聖書箇所:マルコ14章27〜31節】
ペトロは力を込めて言い張った。「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません。」皆の者も同じように言った。(31節)

「おまえは嘘つきだ。さっき違うことを誓ったじゃないか」こんなふうに言われたり、人からなじられたことはありませんか。私はあります。

幼い頃、兄から怒られ、最近では自分で自分自身を責めました。「こんなことは人間にはたくさんあるんだからしょうがないじゃないか」と思う方もおられるかもしれません。それを一番ご存知なのは神様です。でもその時は本気で誓います。いいかげんに誓う人なんて少ないと思います。

今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所に書かれているペトロも同じです。その時は本気で「私はどんなことがあってもイエス様を裏切ったりしません」と言いますが、聖書に親しんでいる人のほとんどの人が、イエス様が捕らえられたあとにペトロがどのように行動するか、イエス様がおっしゃったようになることを知っています。それでもイエス様は「おまえは嘘つきだ。さっき違うことを誓ったじゃないか」と決してペテロを責めたりしません。だからこそこの後、イエス様の言われた行動をしてしまった自分とペトロ自身は向き合います。

人や自分がしてしまった失敗を責めたり、それを無かったことにしてしまうのは解決ではありません。イエス様はペトロのように失敗してしまう一人ひとりでも信じ待って下さいます。一人ひとりが自分のペースで自分と向き合い、イエス様と共に自分や人を許せるときを。

イエス様と共にある時の中を私たちは今歩んでいます。