不完全なあなただから

祈り)
天の神様、新しい目覚めをありがとうございます。
新しい目覚め、新しい命、そして今日与えられる新しい出会い。
私たちは誰に感謝をすればいいのか知っています。それは神様です。
一人一人の存在を愛し、一人一人を必要として下さる神様、今日一日を、そして与えられている一瞬一瞬を、
神様、あなたに感謝できる喜びをありがとうございます。
当たり前にできることや、当たり前にあるものは何もありません。
一つ一つが神様に与えられています。失ってみて初めて気づくものや、失ってすぐは自分に何が起こったのかさえ、受け入れることができないときもあります。
このような無力な私たち人間ですが、どうかよろしくお願いします。

これから語られますみ言葉、この語る者を通して、
ここにおられるお一人お一人へと神様あなたがお語り下さい。
この語る者の全てをお委ねいたします。

このお祈りを、主イエスキリストのお名前によってお祈り致します。
アーメン。

【参照聖書箇所】詩編15編1〜5節

主よ、どのような人が、あなたの幕屋に宿り聖なる山に住むことができるのでしょうか。(1節)

今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所「詩編15:1-5」には、とても完璧な行いをする人こそ、神様に選ばれた者として、聖なる宮に入ることがふさわしいと詩っております。「わかってはいるけどその通りできないわ。」というのが人間です。

小さい子たちが楽しむゲームに『王様ゲーム』というのがあります。ゲームの中心になった人が「王様の命令です」と言って、次々とゲームに参加している子たちに動作を指示します。指示された子たちが、王様の命令通り行動することを楽しむゲームです。私が急にこのゲームのことを思い出したのは、ある宗教の方がこのようなことを言われていると聞いたからです。「人に親切にするのはそれがイエス様のご命令だからです」

私たち一人一人には意思もあり、感情もあります。私たちはイエス様の思い通りに動く操り人形ではないのです。何よりも神様は、私たち人間に選ぶ自由を下さいました。「きっとこっちを選ぶ方が神様は喜ばれるだろうな。」と、分かっていても、私たちは選べる時と選べない時もあります。なぜなら、私たちは不完全な存在だからです。だからこそ、私たちにはイエス様の許しが必要なのです。私たちのために祈られるイエス様が必要なのです。

今、与えられた聖書の箇所に書かれている完璧な行動を私たちは求めることが必要です。でも、できない自分を責める必要はありません。イエス様があなたに代わって成し遂げてくださいます。

あなたはそのままでいいのです。