いつも
祈り)
天の神様、新しい命、新しい目覚めをありがとうございます。
「私はもう十分生きました。そろそろ。。。」と思う方や、
「まだまだ私は生きたい。もう少し。」と思われる方もおられると思います。
今、ここに集められている私たち一人一人も、いろいろな思いや、いろいろな経験をして、今ここに生かされています。
その一人一人違っている思いを、神様、あなたは同じように大切にして下さいます。
「こんなこと対したことない」とか、「くだらないことで悩むなぁ」なんて決しておっしゃいません。
一人一人が感じるそのままを受け入れてくださいます。
あなたの愛は、私たち一人一人を丸ごと包んで下さるのです。
私たちは、生きていてもいいと自分をいつもそのまま許して下さる神様に、心を向けて歩めますように。
これから語られますみ言葉、この語る者を通して、
ここにおられるお一人お一人へと神様あなたがお語り下さい。
この語る者の全てをお委ねいたします。
このお祈りを、主イエスキリストのお名前によってお祈り致します。
アーメン。
【参照聖書箇所】詩編9編2〜9節
わたしは心を尽くして主に感謝をささげ
驚くべき御業をすべて語り伝えよう。(2節)
神様へ心を向けるとはどういうことでしょうか?特別な修行や勉強をしなければできないことなのでしょうか。力や知識、経済力の問題ではなさそうです。それでは、生まれた土地や国、時代の問題なのでしょうか。
そうでもありません。特別な土地や力などがなくても、神様に心を向けることができます。神様に造られた全てが、私たちに教えてくれます。自然や人の笑顔、星の輝きや木々の香りかもしれません。ただ、私たちが忙しくて心に余裕がなかったり、何か偏った価値観に振り回されている時は気づかないかもしれません。
私の家にはシンビジウムという植物の植木があります。その木の葉や花の莟は、どの部屋に置いても、部屋のどこに置いても、ちゃんと太陽の方に向きます。光の方向へと向くのです。神様に心を向けるって、このようなことかもしれません。誰かに教えられなくても、もうすでに私たち一人一人の魂は、自分を造って下さった神様を知っていて、いつも神様へと向いているのです。だから、私たちは気負うことはありません。
あなたは神様に造られている存在で、神様に心をいつも神様に向けているのです。