どんな思いであっても
祈り)
天の神様、新しい目覚めを与えて下さってありがとうございます。
私たちは、与えられているたくさんのものの中を生かされております。
今朝の空気が冷たいことや、水が冷たかったり、全てのことは神様、あなたに今を生かされているからこそ、感じることができるかけがえのないことです。
一つ一つを感謝して歩むことができますように。
これから語られますみ言葉、この語る者を通して、
ここにおられるお一人お一人へと、神様あなたがお語り下さい。
この語る者の全てをお委ねいたします。
このお祈りを、主イエスキリストのお名前によってお祈り致します。
アーメン。
【参照聖書箇所】詩編7編1〜18節
わたしの神、主よ、あなたを避けどころとします。
わたしを助け、追い迫る者から救ってください。(2節)
「あれ、今私こんな気持ちでいたんだ」と気づかされる時がありませんか?そのような時や「こんな気持ちを抱いてもいいのかな?」という時があったり、聖書の言葉は飾りません。ましてや今、私たちの読んでいる詩編は、ほとんどが祈りの言葉です。私たちも祈る時、言葉なんて選んでいる余裕もない時もあります。なんて祈ったらいいのか分からない心の時もあります。人を恨んでみたり、悲しんでみたりもする時があり、また言葉にさえできない自分が、今、何を願っていいのかさえ分からない時もあります。
でも大丈夫です。どんな私でも、ありのままの一人一人を受け入れて下さるのが神様です。こんな気持ちのままでは受け入れて頂けないのではないかと不安になったりする必要も、今の気持ちをきちんと言葉に表さないと、祈りは聞いて頂けないのではないかと不安になることもありません。神様は今、私たち一人一人の心の状態も、置かれている立場も、ありのままの全てをご存知で包み込んでくださっています。たとえ、私たちは何もできなくても、この詩編の詩人のように心を神様へ向けるだけです。
結果があなたの思い通りではないかもしれません。しかし、必ずあなたにとって、一番良い道を神様はいつも示して下さいます。