カーテンレールの信仰~神様の道~

祈り)天の神様、新しい目覚めをありがとうございます。
気温が上がったり下がったり、なんだか体調を崩しやすい毎日ですが、
お一人おひとりの健康をどうぞ神様あなたが支えて下さい。
心配事やつらい事があると、体調を崩したり体がだるかったりしますが、
私たちは心と体のバランスを保って、健康に生きたいと思っています。
そのような一人ひとりの心と体、全部を神様あなたに委ねて生かされる事ができますように。

これから語られますみ言葉、この語る者を通してここにおられるお一人お一人へと神様あなたがお語り下さい。この語る者のすべてをお委ねいたします。
このお祈りを、主イエスキリストのお名前によってお祈り致します。

アーメン。

【聖書】詩編26編1〜12節

わたしは完全な道を歩きます。
わたしを憐れみ、贖ってください。

今まで生きてきた中で「一度も失敗したり間違った事はしたことがない」という方はおられますか?失敗したくて選んだわけではないけど、結果としては失敗してしまったり、間違ってしまったりしたことはあるかもしれません。また、自分はよいと思ってしたことが、他の人から見るとまったくよくない事もあります。しかし、はじめから失敗したり間違えようと思って生きる人もいません。たとえいたとしても、私はまだそのような人には会ったことがありません。逆に絶対、間違ったり失敗しないで生きてきた人も、これからそのように生きる人もいません。きっとどこかで失敗したり、間違ったりもします。本人が認めなくても、失敗や間違いもあっていいことで、それらがないとある意味成長しないのではないかとも思います。

「わたしは完全な道を歩いて来ました。」と詩人は詩い始めます。そして「26:11」では「わたしは完全な道を歩きます。」と詩ったあと「わたしを憐れみ贖ってください。」と詩っています。

昔、カーテンレールにかかるカーテンに例えながら、神様のお話を聴いたことがあります。私たち一人ひとりはカーテンで、レールがないとはみ出してしまうけど、神様のみことばに聴くことでレールからはずれないようにしてもらってる、というような話でした。神様の道は完全で、カーテンレールのように真っすぐなのかもしれません。そこへ戻して下さるのはみことばであり、神様からの憐れみや贖いです。

もう一つ忘れないでほしいのがカーテンの”たるみ”です。そこにも神様はちゃんと働かれています。カーテンにたるみがないとゆとりがなく破れてしまうように、私たち人間もゆとりや余裕がないと破れてしまいます。

失敗しても間違えてもいい。でも、その時だって決して一人ではありません。ただ完全な道に、神様の道に、カーテンのようにレールへと戻る時が必要です。自分だけの力だけではできなくても、神様の手がそっとあなたをレールへ戻して下さいます。