与えられている今
祈り)天の神様、私たち一人一人に新しい目覚めをありがとうございます。
信号が点滅しているとつい走り出してしまったり、駅員さんの鳴らす笛が聞こえ、電車のドアが閉まりそうになるとつい走り出して、
少しでも早く自分が目的としている場所へ行かなければいけない気持ちに追い立てられていることが多い日常を過ごしています。
もう一つ後の信号にしようとか、もう一本後の電車に乗ろう。急行電車ではなく各駅停車の電車に乗ろうとか、
少しゆっくりと行動をする時、自分自身にイライラするのではなく、神様あなたから与えられている「今」を感じられるような気がします。神様あなたを感じることのできる一瞬一瞬を大切にできますように。
これから語られますみ言、この語る者を通して今、聖霊のお導きによって、聖書から聴くお一人お一人と、
皆さんの心にあるお一人お一人へ神様あなたがお語り下さい。
この語る者のすべてを神様あなたにお委ねいたします。
このお祈りを主イエスキリストのお名前を通してみ前にお捧げ致します。
アーメン。
【参照聖書箇所:詩編70編2節〜6節】
神よ、速やかにわたしを救い出し 主よ、わたしを助けてください。』(2節)
「誰にお願いしてるの?」と思いたくなるほど、すごい言葉遣いだなぁって思うのは私だけでしょうか。それほど、この祈りを祈っている詩人は切羽詰まっているのでしょうか。そう思うと同時に、この詩人にとって神様が本当に身近で、いつも傍に神様を感じているのだろうなと羨ましくもなりました。
私たちは24時間という時計の刻む時間の中を生きています。時間がそんなに大切なのだろうかと思わされるほど、時間に振り回されているように見える方も少なくないように感じます。しかし、もう一つの「時」の中を私たちは生かされています。それは神様があなたに与えておられる「時」のことです。それは、あなたと神様にしか分からないかもしれませんが、あなたには分かる大切な大切な「時」です。
「どうしてこんなことが今起こるんだろう。」「私は何をしているんだろう。」このような思いを抱いて過ごしたことは、私も何度もあります。
もし、その一つ一つが「今の自分だから神様に与えられている。」と思えるのなら、すぐではないかもしれませんが、必ず希望が与えられます。絶望が絶望で終わることなく、希望に変えられるのです。「神様、今どうにかしてよ。」と思うかもしれません。「もうどうしようもない。」と諦めるかもしれません。でも、神様は諦めません。あなたを信じているから。あなたに神様は希望を持っているから。速やかにすぐ、あなたが思うように神様の業が示されないかもしれませんが、必ずあなたが必要な時に神様はあなたに業を示されます。
神様はいつもあなたと共におられるから、あなたが必要なものをご存知です。