「今」を生かされて

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祈り)天の神様、私たち一人一人に新しい目覚めをありがとうございます。

私はこうあるべきだ。こうしたい。と私たちは自分の理想の姿や人へ完璧であるべきだと、人や自分に厳しくなったりします。
それがいつしか一人歩きをしてしまい、決まり事であるかのようにできない人やできない自分を否定してしまったり、だめな人間と決めつけてしまったりします。
一人の人の命も私の命も大切な存在です。神様あなたに愛され生かされている今をいつも神様あなたに心を向けて感謝できますように。

これから語られます、みことば、この語る者を通して今、聖霊のお導きによって聖書から聴くお一人おひとりと
皆さんの心にあるお一人おひとりへ神様あなたがお語り下さい。
この語る者の全てを神様あなたにお委ねいたします。

このお祈りを主イエスキリストのお名前を通してみ前にお捧げ致します。
アーメン。

【参照聖書箇所:マタイによる福音書6章25〜34節】

だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。(34節)

 

私はこの仕事を始めた頃、自分はあと何年仕事が続けられるのか、とても不安でした。以前、働かせて頂いていた仕事を辞めて勉強し、牧師という仕事に再就職して普通の人でしたら前途洋々(?)かもしれませんが、私にとっては自分の病気が進行性で現代の医学では治す方法がないとされている難病であることがわかってからの学びの時であり、再就職であったので「できて2、3年かなぁ」という気持ちでした。

参加していた会議の会場でのことでした。あるお二人の牧師が自分たちの定年後の生活について話されておられるのを聞きました。そのお二人の話をお聞きしながら何十年後かの定年後の話ができるお二人がとても羨ましかったのを覚えています。その数年後、定年をお迎えになることなく、お二人の牧師はそれぞれの時に天に召されました。そして「あと2、3年働ければいい」と思っていた私は再就職で牧師になって14年目を迎えています。

 神様から静かに語りかけられます。「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」(マタイ6:34)私たちは誰に、この命を与えられているのでしょうか。誰が一人一人に時を与えて下さっておられるのでしょうか。私たち全ての一人一人は神様から命を与えられています。神様があなたにかけがえのない一瞬一瞬の時を与えて下さっています。

 そのように、あなたは大切な存在です。例え目で見えて触れることができる存在であっても、目では見えない触れることのできない存在であっても、かけがえのないあなたと言う存在が今、生かされています。

(2016年6月27日再録)

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