一人一人の命の土台

1コリント3:10-17
​ 3:10 わたしは、神からいただいた恵みによって、熟練した建築家のように土台を据えました。そして、他の人がその上に家を建てています。ただ、おのおの、どのように建てるかに注意すべきです。 3:11 イエス・キリストという既に据えられている土台を無視して、だれもほかの土台を据えることはできません。 3:12 この土台の上に、だれかが金、銀、宝石、木、草、わらで家を建てる場合、 3:13 おのおのの仕事は明るみに出されます。かの日にそれは明らかにされるのです。なぜなら、かの日が火と共に現れ、その火はおのおのの仕事がどんなものであるかを吟味するからです。 3:14 だれかがその土台の上に建てた仕事が残れば、その人は報いを受けますが、 3:15 燃え尽きてしまえば、損害を受けます。ただ、その人は、火の中をくぐり抜けて来た者のように、救われます。 3:16 あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。 3:17 神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたはその神殿なのです。 
  

祈り)天の神様、私たち一人ひとりに新しい目覚めをありがとうございます。
例えば、梅雨なのに雨のふらない日に紫陽花の花を見るとなんだか元気がないように見えたり、
雨の中に咲く紫陽花の花がきれいに見えたりもします。
同じように私たち一人ひとりも周りの人から見ると元気に見えたり、
逆に自分では気づかないときに顔色が悪かったり。
しかし、神様あなたは一人ひとりを目に見えるかたちだけでは判断をされません。
目には見えない感情や、自分でも無意識に押し込んでいた悲しみや苦しみも、
むやみに暴きたてたりいたずらに追い込むようなことはせず、
一人ひとりに合わせて慰め包んで下さいます。
外見やうわさで判断するのではなく、真の一人ひとりと共に在る
あなたと共に歩める一瞬一瞬を大切にできますように。

これから語られますみ言、この語る者を通して
ここにおられるお一人お一人へと神様あなたがお語り下さい。
この語る者のすべてを神様あなたへお委ね致します。

このお祈りを主イエスキリストのお名前を通してお祈り致します。
アーメン

神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたはその神殿なのです。(1コリント3:17)

今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所「1コリント3:10-17」の語り始めにおいては「イエスキリストを土台としない建物の結末は滅びだ」と、なんだか怖いような恐ろしいことが語られています。

建物を建てるときは土台はとても大切だということは私たちは知っています。大工さんが建物を造るときにどんな土台を使ったのかは、災害が起きた時に一番わかりやすいかもしれません。どのような土台を使っているのか、造っている過程を見なくてはとてもとても知ることはできません。

人間はどうでしょうか。自分自身でさえ神様につくられるその時のことなど、ましてや土台に何が使われているなんてわかりません。もしかして特殊な能力をお持ちの方でわかる人もおられるかもしれませんが、ほとんどの方にはわからないことです。しかし、私たち一人ひとりの魂の土台が何であるかは、今日ご一緒にお読みした聖書の箇所で教えてくれています。

私たち一人ひとりの魂の土台は神様であるイエスキリストです。なぜなら、すべての一人ひとりが神様の神殿だからです。何か突然自分の身に降り掛かりうろたえることがあるとしても、苦しみの中にもだえることがあっても、その現実は消えることはありません。でも、あなた自身が神様と共に乗り越えることはできます。

なぜなら、私たち一人ひとりの魂の土台は神様であるイエスキリストだからです。