すべての一人ひとりと

ヨハネ15:16-17
​ 15:16 あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。 15:17 互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」
  

祈り)
天の神様、新しい目覚めをありがとうございます。
私たちは1日に何度も目覚めたり、たった一度目覚めたり、いろんな目覚めを体験します。
面倒くさい目覚めやスッキリとして気持ちよく感じる目覚めなど。
一人ひとりの数だけ目覚めの感じ方は違います。
それは私たちが生きている形です。
しかし、神様あなたから与えられる目覚めは変わることはありません。
それは目覚めだけではなく命やみ言、時や愛など、
神様あなたから与えられるものすべては一人ひとりに同じように与えられています。
それらを受け取る私たち一人ひとりがどう受け入れるかは自由です。
どうかあなたから与えられる一つひとつに、神様あなたへの感謝ができますように。

これから語られますみ言、この語る者を通して
ここにおられるお一人おひとりへと神様あなたがお語り下さい。
この語る者のすべてを神様あなたへお委ね致します。

このお祈りを主イエスキリストのお名前を通してお祈り致します。
アーメン

あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。(ヨハネ15:16) 

                        
今ご一緒にお読み致しました聖書の箇所「ヨハネ15:16」で、イエス様はこのように語られます。「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ」と。

「あれ?この言葉、どこかで聞いたことがある」という言葉に出合われたことはありませんか。私は「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ」、このみ言葉がそうでした。自分の部屋に飾ってある小さな色紙にそのみ言葉が書いてありました。

思うように体が動かなくなったり、仕事ができなくなって落ち込んだり。「このまま私は何の役にも立たなくなってしまうのではないか」「生きててもしょうがないんじゃないか」と私も落ち込んだりの繰り返しです。でも、このみ言葉は私にも、一人ひとりの方にもやさしく語りかけられるのではないでしょうか。「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ」とイエス様はおっしゃっておられます。「今、あなたが生きている場所や空間は私が与えている。そしてあなたという命も私が与えている。私が共にいる。だから、あなたは何も恐れることはない」と。

先ほど私の部屋に飾ってある小さな色紙に、そのみ言葉は書かれていたと紹介しました。その色紙は2003年3月、前に通っていた教会の牧師が、私の神学校の卒業祝いとして贈って下さったものでした。その牧師もこの色紙に寄せ書きして下さったお二人の方々もすでに天に召されています。

み言葉は今も生きて私たち一人ひとりに語られています。それは聖書に書かれている言葉かもしれません。他にも私たちの周りに溢れています。自然であったり出会う人たちの表情であったり。なぜならすべてが神様に与えられているものであり、すべての一人ひとりと共に神様がおられるからです。

「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ」