わかってはいるけど

詩編15:1-5

15:1 【賛歌。ダビデの詩。】
主よ、どのような人が、あなたの幕屋に宿り
聖なる山に住むことができるのでしょうか。

15:2 それは、完全な道を歩き、正しいことを行う人。
心には真実の言葉があり
15:3 舌には中傷をもたない人。
友に災いをもたらさず、親しい人を嘲らない人。
15:4 主の目にかなわないものは退け
主を畏れる人を尊び
悪事をしないとの誓いを守る人。
15:5 金を貸しても利息を取らず
賄賂を受けて無実の人を陥れたりしない人。

これらのことを守る人は
とこしえに揺らぐことがないでしょう。

祈り)
天の神様、新しい目覚めをありがとうございます。
新しい目覚め、新しい命、そして今日与えられる新しい出会い。
私たちは誰に感謝をすればいいのか知っています。
それは神様です。
一人ひとりの存在を愛し、一人ひとりを必要として下さる神様、
今日一日を、そして与えられている一瞬一瞬を神様あなたに感謝できる喜びをありがとうございます。
当たり前にできることや当たり前にあるものは何もありません。
一つひとつが神様に与えられています。
失ってみて初めて気づくものや、失ってすぐは自分に何が起こったのかを受け入れることができないときもあります。
このような無力な私たち人間ですが、どうかよろしくお願いします。
これから語られますみ言、この語る者を通して
ここにおられるお一人お一人へと神様あなたがお語り下さい。
この語る者のすべてをお委ねいたします。
このお祈りを主イエスキリストのお名前によってお祈り致します。
アーメン。

主よ、どのような人が、あなたの幕屋に宿り聖なる山に住むことができるのでしょうか。(詩篇15:1)

今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所「詩編15:1-5」には、とても完璧な行いをする人こそ神様に選ばれた者として、聖なる宮に入ることがふさわしいと詩っております。「わかってはいるけどその通りできないわ。」と言うのが人間です。
今も幼い頃から子どもが楽しむゲームに[王様ゲーム]というのがあります。ゲームの中心になった人が「王様の命令です」と言って、参加している子たちに次々と動作を指示します。指示された子たちが王様の命令通り行動することを楽しむゲームです。
私が急にこのゲームのことを思い出したのはある宗教の方が「人に親切にするのはそれがイエス様のご命令だからです」と、このようなことを言われていると聞いたからです。私たち一人ひとりには意思もあり感情もあります。私たちはイエス様の思い通りに動く操り人形ではないのです。何よりも神様は私たち人間に選ぶ自由を下さいました。「きっとこっちを選ぶほうが神様は喜ばれるだろうな。」とわかっていても、私たちは選べる時と選べない時もあります。なぜなら私たちは不完全な存在だからです。だからこそ私たちにはイエス様の赦しが必要なのです。そして私たちのために祈られるイエス様が必要なのです。
今、与えられた聖書の箇所に書かれている完璧な行動を私たちは求めることが必要です。でも、できない自分を責める必要はありません。イエス様があなたに代わって成し遂げてくださいます。あなたはそのままでいいのです。