自分の存在価値 ~かけがえのないあなた~

イザヤ53:11-12

53:11 彼は自らの苦しみの実りを見
それを知って満足する。
わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために
彼らの罪を自ら負った。
53:12 それゆえ、わたしは多くの人を彼の取り分とし
彼は戦利品としておびただしい人を受ける。
彼が自らをなげうち、死んで
罪人のひとりに数えられたからだ。
多くの人の過ちを担い
背いた者のために執り成しをしたのは
この人であった。
  

祈り)天の神様、新しい目覚めを私たち一人一人に与えて下さりありがとうございます。

今あなたからのみ言に出会い、み言を通してあなたとの出会いが与えられることを心から感謝いたします。今、与えられている一瞬一瞬がかけがえがないものであることを私たちは感じたり感じなかったりします。そのような一人一人の心の状態を神様あなたは赦し一人一人の心があなたに向けられることをいつも待って下さいます。どんなに長い間、神様あなたに心を向けられなくても、決してあなたは一人一人を見捨てることはありません。そのようなあなたにいつも見守られ愛されていることを感謝します。

これから語られますみ言、この語る者を通してここにおられるお一人お一人へと神様あなたがお語り下さい。神様あなたに全てをお委ね致します。

このお祈りを主イエスキリストのお名前によってお祈り致します。
アーメン

「どうして私なんかのために」「私なんかそんな価値はありません」「私はあなたを知りません」そのような声が聞こえてきそうな気がします。

ご一緒にお読み致しました聖書の箇所はキリストが生まれる何年も前に預言者イザヤという人が詩ったとされている「苦難の僕」の詩(うた)と言われています。一説ではイザヤ書53編はイエスキリストの十字架の苦難を詩っているとも言われ、よくイースターの前に読まれる箇所でもあります。

「イエス様が罪もないのに十字架にかけられたのだ」と、なんとなく読む人も、すごく重く悲しい思いで読まれる方も、いろんな方がおられます。しかし今、あなたは神様と出会われています。自分のことのように受け取られる人にも、「聖書の言葉なんか自分には関係ない」と思われる方であっても、神様にとっては一人一人が大切なのです。なぜなら、世界中の一人一人が全て神様によって造られ、神様に必要とされているからです。その一人一人と神様の関係を回復されるためにイエス様は十字架の死へ、そしてその先にある命への道を歩まれました。

もう一度与えられました聖書の箇所をお読みします。
「彼は自らの苦しみの実りを見
それを知って満足をする。
わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために
彼らの罪を自ら負った。
それゆえ、わたしは多くの人を彼の取り分とし
彼は戦利品としておびただしい人を受ける。
彼が自らをなげうち、死んで
罪人のひとりに数えられたからだ。
多くの人の過ちを担い
背いた者のために執り成しをしたのは
この人であった。」
(イザヤ53:11.12)

神様にとって、全世界の一人一人はかけがえのない存在です。