わたしがあなたを選んだ
神様は特別な人だけ選び、まるでその人を物であるかのように扱う方なのでしょうか。いいえ違います。
神様は特別な人だけ選び、まるでその人を物であるかのように扱う方なのでしょうか。いいえ違います。
愛の反対語は無関心です。と言われた方がいました。ふーん憎しみじゃないのか。と少し思いました。
今朝ご一緒にお読み致しました聖書の箇所に語られているイエス様のお姿は、 いつも聖書に語られている温和でやさしいイエス様のお姿とは全く違い、 激しく怒り悲しむ姿が語られています。 しかし、イエス様は決して感情的なヒステリーを起こして、 周りの人々に当たり散らしたのではありませんでした。
以前観た、住宅を紹介するテレビ番組の中でガラス張りにされたお風呂を紹介する場面があり、なんだか嫌な気持ちになりました。
「こんなはずではなかったのに」と、自分が予想もしていなかった結果にびっくりしたことや後悔したことはありませんか。私たちは物事の結果に期待して、行動することが多くあります。
「信じる」ということは、いったいどういうことなのでしょうか。 自分の思い通りに物事が進むようになれば、信じられるのでしょうか。 自分が納得いけば信じられるのでしょうか。 逆に自分が考えもしなかったことが目の前で起こったりすると、 いくら奇跡を願っていたとしても、 逆に信じられないほど驚かされるこ...
イエス様はご自分の話を聞きたいと集まって来た人々に、「天の国」についてそこにいる人々にわかりやすい例えで話されます。 今朝ご一緒にお読み致しました聖書の箇所は、丁度そのような箇所です。 とは言っても、からし種ってどういうものだろうか、とか お金を払えばすぐおいしいパンが買えてしまうような今、 パ...
私はよく、このように自分が聖書のみことばから聴いて書いたメッセージをまとめたものを、A4の紙にプリントしてお配りします。
ご一緒にお読み致しました聖書の箇所「マルコ15:39」で、「本当にこの人は神の子だった」と百人隊長と呼ばれる人の言葉として語られます。 聖書から聴くあなたには、今、どのように語られていますか。
「あなたを愛している」と言われて、「はい、そうですか。ありがとう。」と言える人はいらっしゃるでしょうか。それより「どのくらい私のこと愛してるの?」と聞いてみたり、「証拠を見せて」と言ってみたり、いろいろな反応があるのではないかと感じます。それは「愛」というものには、形も色もなく「私が信じる」とい...