神に捧げるもの
「えっ、うそ。神様は何の条件もつけないの?」 私たちは一般的に「何かをして、これをしてもらう」というように「自分が希望するとき、相手の要求に対してできるだけ果たしてからしてもらう」というような決まりを当たり前のように思うことが多いのではないでしょうか。
「えっ、うそ。神様は何の条件もつけないの?」 私たちは一般的に「何かをして、これをしてもらう」というように「自分が希望するとき、相手の要求に対してできるだけ果たしてからしてもらう」というような決まりを当たり前のように思うことが多いのではないでしょうか。
『主に信頼する者は慈しみに囲まれる。』(詩編32:10)と詩人は語ります。「神様に信頼する人はどこにいても安心できる」と詩人は語るのです。誰かを信頼する、と聞いて思い出すのは、昔ドラマで観たシーンです。
『天は神の栄光を物語り 大空は御手の業を示す。』(詩編19:2)と詩人は語ります。「へぇ、神様は大きい物も小さい物も造ったのかぁ、すごいな」って思われるのではないでしょうか。
『主よいつまでなのでしょう。』(詩編6:4)と詩人は祈ります。祈りというより心の叫びとでも言うのでしょうか。苦しみや悲しみの中にいるとき、私たちは「これはいつまで続くのだろう」と不安になる時が多いような気がします。何が解決になるのか、どうすればここから解放されるのか、そのようにもどかしく感じる時...
「誰にお願いしてるの?」と思いたくなるほど、すごい言葉遣いだなぁって思うのは私だけでしょうか。それほど、この祈りを祈っている詩人は切羽詰まっているのでしょうか。そう思うと同時に、この詩人にとって神様が本当に身近で、いつも傍に神様を感じているのだろうなと羨ましくもなりました。
「こんな私は生きてていいのだろうか。」そのような問いがあふれてくる時があるのは私だけでしょうか。あれもできない、これもできなくなった、何も役に立たない私なんかがどうして生きているんだろう。と。
イエス様が弟子たちへと語られていることは、今、聖書を読んでいる私たち一人一人にも語られています。「〜してはならない」禁止事項ばかりで堅苦しく感じてしまうようにも読めます。「イエス様はやっぱり厳しいときもあるのかな」っと少しがっかりするような。「いやいや、弟子たちを派遣されるのだからこのくらい厳し...
「こんなはずはなかったのに」と自分が予想もしていなかった結果にびっくりしたことや後悔したことはありませんか。
「おまえは嘘つきだ。さっき違うことを誓ったじゃないか」こんなふうに言われたり、人からなじられたことはありませんか。私はあります。
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所は「最後の晩餐(ばんさん)」と題されていて有名な画家の絵の題材にされたりした箇所でもあります。聖書に書かれている通り、イエス様がいよいよ十字架に掛けられようと捕らえられる前に行った弟子たちとの最後の夕食の場面です。これは今も教会で行われている聖餐式の初まりで...