イエス様のヒステリー?~神の子の怒りと悲しみ~
今朝ご一緒にお読み致しました聖書の箇所に語られているイエス様のお姿は、 いつも聖書に語られている温和でやさしいイエス様のお姿とは全く違い、 激しく怒り悲しむ姿が語られています。 しかし、イエス様は決して感情的なヒステリーを起こして、 周りの人々に当たり散らしたのではありませんでした。
今朝ご一緒にお読み致しました聖書の箇所に語られているイエス様のお姿は、 いつも聖書に語られている温和でやさしいイエス様のお姿とは全く違い、 激しく怒り悲しむ姿が語られています。 しかし、イエス様は決して感情的なヒステリーを起こして、 周りの人々に当たり散らしたのではありませんでした。
「こんなはずではなかったのに」と、自分が予想もしていなかった結果にびっくりしたことや後悔したことはありませんか。私たちは物事の結果に期待して、行動することが多くあります。
「信じる」ということは、いったいどういうことなのでしょうか。 自分の思い通りに物事が進むようになれば、信じられるのでしょうか。 自分が納得いけば信じられるのでしょうか。 逆に自分が考えもしなかったことが目の前で起こったりすると、 いくら奇跡を願っていたとしても、 逆に信じられないほど驚かされるこ...
イエス様はご自分の話を聞きたいと集まって来た人々に、「天の国」についてそこにいる人々にわかりやすい例えで話されます。 今朝ご一緒にお読み致しました聖書の箇所は、丁度そのような箇所です。 とは言っても、からし種ってどういうものだろうか、とか お金を払えばすぐおいしいパンが買えてしまうような今、 パ...
私はよく、このように自分が聖書のみことばから聴いて書いたメッセージをまとめたものを、A4の紙にプリントしてお配りします。
「あなたを愛している」と言われて、「はい、そうですか。ありがとう。」と言える人はいらっしゃるでしょうか。それより「どのくらい私のこと愛してるの?」と聞いてみたり、「証拠を見せて」と言ってみたり、いろいろな反応があるのではないかと感じます。それは「愛」というものには、形も色もなく「私が信じる」とい...
今ご一緒にお読み致しました聖書の箇所は、バラバという悪党が主イエスの代わりに十字架から下ろされて恩赦を受け解放されていく場面です。
命を持っていない方はおられますか?命は目に見えなくても、私たちは「持っています。」と、自信をもって言うことができます。なぜでしょう?手が動くから?足が動くから?目に見えて動くものを確認できなくても、皆さん命が与えられています。
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所においては、復活のイエス様に出会った弟子たちの話を聞いて不思議に感じていた弟子たちの真ん中に復活のイエス様が立ち、「あなたがたに平和があるように」と語られ、復活された体を証明されるために食事をされるという場面が語られております。
「天に誓って。。。」と、私は学校の友達などによく言った覚えがあります。